いつしか、私たちは家族のような関係に
その時のことを思い出すと、いまだに悲しさで胸が苦しくなり、言葉が出てこなくなります。
2021(令和3)年4月4日の朝、橋田さんの「容体が悪い」という連絡を受けた私は、取るものも取りあえず、通い慣れた熱海へと向かいました。
一報を受けた時に、思わず口をついて出てきたのは、
「どうしたのよ! なんでよ!」
という怒りの感情でした。怒ったってしょうがないのですが、何て言っていいのかわからなくて。
残念ながら、私は彼女の臨終に間に合いませんでした。
60年前に出会い、1964(昭和39)年の東芝日曜劇場『袋を渡せば』で初めてコンビを組んでから、二人で重ねてきた月日を思い起こすと、本当にさまざまなことがありました。
私と橋田さんとでは、気質が全く異なります。年中喧嘩をしていました。私も言いたいことを激しく言いましたが、彼女もすごい剣幕で言いつのってきます。けれども、お互いカラッとした性格ですので、喧嘩が後を引くようなことはありませんでした。
おそらく、根っこの部分で私と橋田さんとは、つながっていたのだろうと思います。心が響き合っていたのでしょう。
赤の他人の私たちが心を通わすことができたのは、ともに過ごす時間の中で、自分の思っていることを率直にぶつけ合い、お互いを認め合い、信頼関係を築くことができたからだと思います。
いつしか、私たちは家族のような関係になっていったのです。
姉の言うことは聞くもんだ
あれは……橋田さんが亡くなるひと月前のことです。お手伝いをしている橋田文化財団のことで彼女と電話をしていたのですが、いつになく彼女が財団のことを、くどくどと私に託したのです。
「財団のことをちゃんとやりますと言って!」
どうしてもそのひと言を聞きたい、聞かずにはおかない、という橋田さんの気迫のようなものが受話器の向こうから伝わってきます。
「財団のことをちゃんとやります」
彼女の求めに応じて、私は復唱しました。橋田さんは満足したようでした。そして
「あんたは私より一つ下。私はあんたの一つ上なんだよ」
唐突にそう言いました。年齢のことを言い出したのです。
「あんたよか、お姉さんだよ。だから、姉の言うことは聞くもんだ。あんたは妹なんだから」
そんなことを言われたのは、その時が初めてで最後でした。
お互い大人ですから、相手のことを思い遣ってはいても、なかなか口幅ったいことは言えないものです。橋田さんの「あんたは妹」というひと言は、彼女が私のことを家族のように思っていたことを、私に伝えたい、わかっていてほしい、という「遺言」のようなものかもしれません。
左が石井さん、右が橋田さん。二人の関係ができる基礎になった
『袋を渡せば』と『愛と死をみつめて』
『袋を渡せば』、そして『愛と死をみつめて』での橋田さんとの仕事は、その後につながる二人の関係の基礎になったように思います。
違う環境で育ってきた人間同士が一緒に仕事をするのは大変なことです。私の「常識」は彼女の「非常識」だということもあり得るわけですから。彼女だっていろいろ思ったと思います。
以前、橋田さんと対談した折に、初めてコンビを組んだ『袋を渡せば』当時の私の印象について、
「とても気難しそうな方で、そんな方と付き合うのはたまらないから、二度とお会いしたくないって感じだった」
「まぁ、一度だけでおしまいだろうなって思ったんですよ」
私からしたら苦笑いするしかないですが、そんな受け答えをしています。
「あなただって、相当わがままな人ですけどね」
と言いたいところですが。
母がハラハラしたように、私が思ったことを直球で伝えるので、初めて私と向き合った橋田さんはびっくりしたでしょうし、腹も立ったことでしょう。でも、うまいこと言えないのは、橋田さんも同じなんです。
二人ともそう……。ずっとそうでした。
私たちの関係、心の通い合いができ始めたのが『袋を渡せば』と『愛と死をみつめて』なのです。
一年間、好きなものを作ってください
『渡る世間は鬼ばかり』誕生の裏側
その頃の私はといえば、相変わらず日曜劇場はじめ、さまざまなドラマをプロデュースし、舞台の演出も精力的に手がけていました。
橋田さんもNHK大河ドラマ『春日局』の脚本をようやく書き終わったぐらいの時期だったように思いますが、後に『渡る世間は鬼ばかり』という名前で放送される新しいテレビドラマと私たちを結びつける、大きな出来事が起きました。
日曜劇場を、「連続ドラマでやる」という方針が打ち出されたのです。前にも書いたように、日曜劇場には「一話完結」という大きな特徴がありました。ですから、私はきっぱり、
「連続ではやりません」
と言いました。いろんな思いはありますが、中途半端にはしたくない。だから、私はプロデューサーを降りる決心をしたのです。
私は香港へ飛びました。正直なところ出無精なところがあり、旅もそんなに好きなわけではありません。でも、気分を変え、心を整えるために、ちょっと日本から離れてみようと思ったのです。
ところが、編成の人が追いかけてきて、
「一年間、好きなものを作ってください」
と、思いがけないことを言いました。
自分のやりたいことをやっていい……その言葉で、自分の気持ちに何か微妙な変化が起きるのを感じました。編成もわかっていたでしょう。私がやるなら、「家族のドラマ」だということは。
ただ、ひと口(くち)に家族といっても、その時代、時代でそのかたちは変わっていく。今の時代に合った、観る方々が共感しやすい、登場人物に感情移入できる、日曜劇場とはまた違うホームドラマをやりたいと思いました。
「わかりました」
やろう、という気持ちになれた私は、そう答えました。作家や脚本家についても確認しましたが、
「石井さんが一緒にやりやすい人で結構です」
脚本は誰にお願いしようか……真っ先に頭に浮かんだのは、やはり橋田さんでした。
(『家族のようなあなたへ ― 橋田壽賀子さんと歩んだ60年』より。)
続きは本書でお楽しみください。
家族のようなあなたへ ―
橋田壽賀子さんと歩んだ60年
石井ふく子(著)
■ 1485円(税込み)
■発行:株式会社世界文化社
誰よりも橋田さんと長く向き合い、心を通わせてきた名プロデューサーの石井ふく子さんが、60年の長きにわたる橋田さんとの日々、ともに作った作品のエピソードを語ります。年中喧嘩をしながらともに歩んできた二人が、最後にたどり着いた場所とは……。家族を考える、人間を想うストーリー。
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