錢天牛 2022年後半の「恋愛・結婚・家庭運」 西洋占星術の草分けであり、阪神淡路大震災を的中させたことで有名な錢天牛氏を父に持つ2代目・錢天牛さん。恋愛運が最悪の星の下に生まれたというのですが......。
錢天牛さんによる12星座別の鑑定記事はこちらから>> 1880年代ドイツ製の星座早見盤。英語なので教材として輸出されていたものと思われる。木・革・紙製。撮影協力/LECURIO父・錢天牛に予言された私の結婚。偉大な占星術師の息子に生まれて
文・錢天牛私は占星術師の家に生まれたということになるのですが、物心ついた頃は、父が他の友達の父親と違ってなぜ家にいることが多いのか、まるでよくわかっていませんでした。もう50年前の話です。
その当時父は12星座別に運勢をまとめた『星占い ホロスコープ』という小さな冊子(鶴書房・年度版が毎年刊行されていた)を書いていて、家にそれを盛大に置いていました。
星座ごとに分かれた冊子を各星座5、6冊ずつ専用の紙製の専用ラックに並べ書店で販売するというものでした。その冊子の存在が、私にとって占星術との出会いだったと思います。調べてみたところ1973年が始まりだったようです。
その時私は3歳でしたから、その本がなぜ自分の暮らす家にあったのかわかりませんでしたが、かすかに覚えているのはそれらの本がそれぞれ各星座の有名人を紹介していたことです。もちろんその記憶はもう少し後の年のことです。
小学校3年生で、父の本を参考に初めて人を占う
たまに人から聞かれるのは、私が幼少の頃から父から占いの英才教育を受けていたのではないかということですが、そんなことはありませんでした。小学3年生の時に通っていた塾の講師から占ってほしいといわれて占ったのが、私が占いを実践した初めての経験です。
占星術ではなく「銭占い」という10円玉4枚と100円玉1枚を使う易の応用のようなものでした。参考にしたのは『カラー版ジュニア入門百科 占い教室』(秋田書店)という子ども向けの入門書でしたが、これはもちろん父による著書でした。
父が占い師であることで、学校で同級生や先生にもいろいろいじられました。今でもよく覚えているのは、中学3年生の時に同級生にもらった年賀状に「良い年になるかどうかはお父さんに聞いて下さい」と書かれていたことです。