趣味こそ人生。正統の華麗なる「田園生活(軽井沢ライフ)」を訪ねて
天皇陛下が5歳の時に登られた離山(テーブルマウンテン)碓氷峠側から見る軽井沢のシンボルの一つ離山。頂部が平らなため外国人避暑客から「テーブルマウンテン」の愛称で親しまれた。標高1256メートル。登山口から頂上までは約1時間。「山好き」として知られる天皇陛下が、上皇陛下に手を引かれ、5歳の時に初めて登られた山。浅間山
楽々「E-bike」で浅間山麓を巡る愉しみ起伏の少ない軽井沢はサイクリングにうってつけ。浅間山麓の6市町村が共同で推奨している「E-bike(電動アシストスポーツ自転車)」なら体力に自信のない人も安心だ。明治19年、英国国教会の外国人宣教師らによって“避暑地”として見出された軽井沢。蒸し暑い日本の夏に耐えかねた西洋人が、冷涼な気候と西洋絵画的な風景に魅せられ、コミュニティを形成したことで、軽井沢は長らく「日本の中の西洋」であり続けました。
パンやハム、ジャムなどの欧風食材、レタスのような高原野菜、ベッドやバスタブなどの洋家具など、洋式の生活に必要なものは、すべて外国人たちによって手ずからこの地の住人に伝えられ、紛い物ではない本物の洋風生活がここに根づきました。
その中の一つに「健康保養地」や「バカンス」という概念、豊かな自然を背景とするレクリエーションや趣味を愉しもうとする西洋式のリゾートライフがあります。
正装をまとい家族で愉しむ登山やピクニック、テニスやゴルフ、乗馬といった英国式のスポーツ文化、別荘庭園でのガーデンパーティや音楽会など、外国人が持ち込んだ華やかな流儀は、やがて外国人と交流を持つ当時の日本の上流階級にも普及し、軽井沢の別荘文化として定着していきます。
文明生活を離れ、家族ぐるみで「森の生活」を愉しむ――
軽井沢精神は、今も時代を超え、形を変えて正統な文化として受け継がれています。軽井沢人の密かな愉しみの現在進行形を追いました。(第2回へ続く)
〔特集〕軽井沢の秘密
01
軽井沢の秘密
この特集の掲載号
『家庭画報』2022年8月号
撮影/本誌・坂本正行
『家庭画報』2022年8月号掲載。
この記事の情報は、掲載号の発売当時のものです。