毎日を心豊かに生きるヒント「私の小さな幸せ」 家庭画報読者の皆さまにはおなじみの玉村豊男さん。景色が気に入って長野県東御市に転居し、野菜畑とブドウ畑をつくって早32年。今や2万坪を超すブドウ畑から、ヴィラデスト印の上質なワインを送り出しています。ワイナリー会長に画家にエッセイストに……二足どころか何足もの草鞋を履く毎日ですが、「精一杯やってもやるべき仕事が明日に残るのが大事だということを、農業から学んだ」と語る玉村さんの人生観、日々の幸せとは。
一覧はこちら>> 第16回 玉村豊男 (エッセイスト、画家)
料理が一段落し、ヴィラデストの白ワインでひと息つく日常。「ヴィラデストワイナリー」の会長、画家、エッセイストとして忙しくも、日々楽しく暮らす。玉村豊男(たまむら・とよお)1945年東京都生まれ。エッセイスト、画家。東京大学文学部仏文学科卒業。在学中、パリ大学言語学研究所に留学。帰国後、通訳、翻訳業を経て、エッセイストの道へ。1991年長野県東御市に転居、2003年「ヴィラデストガーデンファームアンドワイナリー」開業。著書多数。「人は、自分から望ましい状況をつくり出すことはできない。とりあえず今の状況を切り抜ける、その過程を楽しむのが人生だろう」
朝起きると犬を連れて散歩に出ます。ブドウ畑に沿った土手から森の中の小径を抜け、ワイナリーの前にあるガーデンをひと回りして戻るのがいつものコース。
家は里山の天辺にあるので、千曲川の流れる上田盆地の向こうに北アルプスの稜線が遠望できます。32年前、この景色が気に入って農地を買い、山林を切り拓いて家を建てました。
そのとき野菜畑の隣につくったブドウ畑は600坪。それが今では里山の全体と周囲に広がって面積は2万坪を超え、上質なワインを生み出すようになりました。
春の晩霜、初夏の雹(ひょう)、夏の台風、温暖化で増えた雨量、鹿や猪の獣害などを生き延びた、ゲヴュルツトラミネールの収穫。ここまでにするのはさぞ大変だったでしょう、と人からはよく言われますが、私自身には苦労した感覚はありません。
荒れた土と格闘して開墾したことも、大借金をしてワイナリーを起業したことも、慣れないレストランの経営で右往左往したことも、すべて自分から面白がってやったことなので、楽しい思い出しかないのです。
ヴィラデストのワイン。赤はメルローとピノ・ノワール。白はシャルドネ。左からゲヴュルツトラミネール、ソーヴィニョンブラン、ピノ・グリ。「日本ワインは進境著しいが、知らない人が多くて残念!」。小さい頃から、将来は何になりたいか、考えたことのない子供でした。大人になってからは、とりあえず今の状況をうまく切り抜ける、その過程を楽しむのが人生だろう、と思うようになりました。
人は、自分から望ましい状況をつくり出すことはできません。水の流れに身を任せ、目の前に木が流れてきたらつかまえる。行き先は流木に訊かなければ分からないが、その木を選んだのは自分の決断です。
今日は一日よく働いた。残った仕事は明日にしよう
朝の散歩から帰ったら朝食を済ませてアトリエにこもり、昼食と昼寝の時間をはさんで夕方まで絵を描きます。コロナ禍で外出する機会が減ったので、絵を描く時間が増えました。
クレマチスを描いて。夕方からは食事の支度。妻とその妹と3人で食べる料理をつくるのは、50年間台所に立ち続けている私の仕事です。
過去に達成したことには興味がなく、遠い未来にも関心はない。ただ、今日は一日よく働いた、残った仕事は明日にしよう、と言って目の前の食事とワインを楽しむ時間が幸せです。
牛ランプ肉の塊をローストビーフのように仕上げて。肉を焼いた鍋で醬油とみりんを煮きってソースにし、じゃがいもは切ってオリーブオイルをかけ、オーブンで焼く。奥さまの抄恵子さんと、その妹の圭子さん曰く「玉さんの料理がおいしくて体重が減らない!」。これは農業で学んだことですが、精一杯やってもやるべき仕事が明日に残る、というのが大事です。そうやって、日々の暮らしは続いていく。
私は毎晩描きかけの絵のことを考えながらベッドに入りますが、もしそのまま目が覚めなければ、その日の夕食が最後の晩餐になる……だから私たち3人の老人は、「毎日が最後の晩餐だね」と言って笑いながら食卓を囲むのです。
写真提供/ヴィラデストガーデンファームアンドワイナリー 構成/小松庸子
『家庭画報』2022年8月号掲載。
この記事の情報は、掲載号の発売当時のものです。