第1回 恋はいつまで(前編)
文/工藤美代子
ちょうど日本の元号が新しく令和に変わった頃からだろうか。同世代の知人や友人から奇妙な人生相談を持ち掛けられるようになった。
もともと私はそれほど顔が広いわけではない。特に裕福な知り合いも著名人の友人もいないが、長い付き合いの女友達はけっこう多い方だ。人によっては、知り合ってから半世紀以上がたつ。離婚した人、大病を克服した人、孫の成長が生き甲斐の人など、さまざまだ。
しかし、「とにかく、つつがなく後10年は生きて、周囲に迷惑を掛けないで死にたいわね」という言葉をいつも交わしていた。まるで、それが別れる時の挨拶の決まり文句であるかのように。
たとえ子供がいても介護をしてもらうつもりはない。夫を見送ったら老人ホームに入居したいと、ほとんどの人が言う。そのためには、いくら資金を用意するかが、私たちにとっての最大の関心事だった。
ところがここ2、3年ほど、いささか毛色の変わった話題が行き交うようになった。友人たちは私のことをさまざまなあだ名で呼ぶ。「工藤薬局」と言われるのは、自分が身体が弱いのでしょっちゅう薬のお世話になる、すると、どんな時に何の薬を服用したら良いのか詳しいからだ。
あるいは「お見合いバアサン」と呼ぶ口の悪い友達もいる。これは単にお見合いのお世話をよくするためだ。「よろず屋さん」と言われるのは、何でも相談しやすいからだと言う。コロナが跋扈(ばっこ)するようになって以来、外出もままならない友人からの身の上相談がやたらと増えた。私はもともとお節介だし、他人の話を聞くのは大好きだから、電話で長時間話し込んでもさして苦にならない。
むしろ、他人の体験は何であれ興味深く感じる。だからあまりアドバイスはしないで、ただ話を聞く。それだけで相手はすっきりするらしい。