潤う成熟世代 快楽(けらく)─最終章─ 作家・工藤美代子さんの人気シリーズ「快楽」の最終章。年齢を理由に恋愛を諦める時代は終わりつつある今、自由を求めて歩み始めた女性たちを独自の視点を通して取材。その新たな生き方を連載を通じて探ります。
前回の記事はこちら>> 第6回 恋は単なる幻想か?(後編)
文/工藤美代子
ミエさんが激昂したのは、木村氏の奥さんの問題もさることながら、その事実がサークルの仲間たちに知れ渡ったことである。つまり彼女は恥をかかされたと感じた。そこで、木村氏に怒りをぶつけた。なぜ本当のことを言ってくれなかったのだ、私が不倫をするようなふしだらな女に思われても、あなたはかまわないのかと猛烈な勢いで責め立てた。本人が猛烈な勢いでと言うのだから、さぞや鬼の形相で憤ったのだろう。
木村氏は、気の毒なほどおろおろして謝った。そんなつもりじゃなかった、妻は5年前に大病をして半身不随になった、せめて最期はきちんと看取ってから、あなたにプロポーズするつもりだったと弁解する。それでも、ミエさんの怒りは収まらなかったのだが、この時に木村氏が突然、彼女を食事に誘った。来週は二人でいつものレストランへ行こう。僕が招待すると言い出した。
「私ね、なんだか知らないけど、嬉しい気になっちゃったのよ。だってあの人の食事の費用がいつも心配だったんですもの。あの人が払ってくれるなんて言い出したのは初めてだったし」
ミエさんの機嫌を取るために、ご馳走しようと思ったのだろうか。いずれにせよ、片方だけが出費するという歪(いびつ)な形の交際が変わるチャンスではあった。
喜んで、ミエさんは木村氏とステーキハウスに出向いた。ところがそこでミエさんは、また、しこたま傷つく羽目になる。どうも神様はミエさんにあまり親切じゃないようだ。
「あの人ね、いつもサーロイン・ステーキしか食べないのよね。6000円くらいするやつ。だから、私は一番安いハンバーグにしてたわけ。それなのに、彼は私に3500円のサイコロ・ステーキはどうかって言うの。『はい』って答えたら、自分にはねハンバーグを注文したのよ。びっくりしたわよ。だって、あの店でハンバーグなんて食べたことない人ですもの。ああ、この人はケチなんだなとしみじみ思った」
もともと女性に払わせてばかりいる男なんだから、ケチに決まっていると言いたかったが黙っていた。そんなことはミエさんだってわかっているはずだ。