潤う成熟世代 快楽(けらく)─最終章─ 作家・工藤美代子さんの人気シリーズ「快楽」の最終章。年齢を理由に恋愛を諦める時代は終わりつつある今、自由を求めて歩み始めた女性たちを独自の視点を通して取材。その新たな生き方を連載を通じて探ります。
前回の記事はこちら>> 第7回 二人の愛は新しい段階に(前編)
文/工藤美代子
さっきから私は久枝さんに滔々と自説を述べていた。6月にしては異常な真夏日が延々と続いていた頃である。
「ね、おかしいと思わない? 妻がいるってことが、ばれちゃった途端にミエさんにご馳走してみたり、二人きりの時に、お世辞たらたらで一生懸命サービスしてみたり、あんなの恋愛って言えないわよ。計算ずくで付き合っているのよね。ほらさ、昔はコールガールって呼ばれる女性がいたのは知っているでしょ? だけどさ、戦前には、コールボーイっていうのもあったらしいわ。宇野千代の小説に、それが出て来るのよね」
私がコールボーイだと怒っているのは、
こちらの記事の木村氏のことである。あんまりケチくさい話なので、あらためて書くのも腹が立つが、83歳のミエさんの恋人の木村氏は彼女と同じくらいの年齢だ。独身と偽っていたけれど実は所帯持ちだった。ミエさんは本気で怒った。慌てた木村氏は、初めて彼女に食事をご馳走した。その前までは、いつも必ず彼女が払っていたのだ。
そして、突然のように、ミエさんに以前よりずっと情熱的で、丁寧な愛撫を始めた。あえてはっきり言うと、かつての木村氏の愛情表現は、本気で彼女を求めているとはとても思えない簡略さだった。ミエさんの胸元をはだけて、ちょっと触るだけというもの。まあ年齢が年齢だから、それでいいのではと納得する人もいるかもしれないが、私は聞いていて、違和感を持った。まさか昨今流行の「ロマンス詐欺」ではないけれど、彼がミエさんに本気で惚れている感じはしなかった。
しかし、私の疑念とは関係なく、ミエさんは彼がさらに広範に愛撫の手を伸ばすようになったのは、まさに彼の愛情の証だと信じた。そして、彼への恨みを完全に忘れ去った。
だが、問題がひとつあった。半世紀近くも、男性とは性交渉がなかったため、彼女は膣の周辺のケアをまったくしていなかった。ザラザラのサメ肌みたいになっているので、木村氏が指を触れた場合、興醒めするのではないか。だから、何としてでも手入れの方法を調べてくれと頼まれたのである。
正直に書けば、これも私の気を滅入らせた。あんな人のために、そこまで心配しなくてもいいじゃないかと。
「あなたが怒るのはわかるけど、それは怒り過ぎだわ」と久枝さんが笑った。
「だってさ、ミエさんは年齢的に見ても、彼女を恋愛対象と捉える男性は少ないと思う。つまり女としての需要はそれほど多くはない。だけど、木村氏の方は趣味のサークルの中でも、とりわけもてるし、女性たちは彼に夢中なんでしょ。おそらく、それだけのルックスや話術を備えているのよ。彼が強気なのもわかる。だからさ、ミエさんのために手助けしてあげたらいいじゃない。彼女が老いらくの恋を思い切り楽しめるように。理想的な恋愛なんてね、この世にはないのよ。理屈ばかりこねている女って、ホントに男と縁がなくて当然だわね」
私の顔を見ながらこう諭すのだった。確かに納得できる部分もある。例えば株式投資だって、外貨預金だって、利益が出なければ、やる意味がない。誰もが必ず儲けられると信じて始めるものだ。でも、必ずしも投資した分以上の配当が得られる保証があるわけではない。