潤う成熟世代 快楽(けらく)─最終章─ 作家・工藤美代子さんの人気シリーズ「快楽」の最終章。年齢を理由に恋愛を諦める時代は終わりつつある今、自由を求めて歩み始めた女性たちを独自の視点を通して取材。その新たな生き方を連載を通じて探ります。
前回の記事はこちら>> 第12回 恋には交通整理が必要です(前編)
文/工藤美代子
私が小学校4年生の春だった。わが家にテレビがやって来た。ドラマやニュースのみならず、歌謡曲も茶の間に流れるようになる。
春日八郎とか三橋美智也なんて今の若い人は知らないだろうが、当時は大スターだった。他にも有名な歌手がたくさんいた。それは良いのだが、彼らが唄う歌は、ほとんどが恋愛に関する歌だった。子供の耳には、恋する気持ちの切なさを、ひたすら訴えているようにしか聞こえない。
生まれつき音感が鈍かったので、メロディーについてはあまり関心がなかった。しかし、歌詞はいつでも気になった。子供なんだから、そんな心配をしなくてもいいようなものだが、「捨てちゃえ 捨てちゃえ どうせひろった 恋だもの
※1」と声を張り上げる女性歌手を見ていると、はて、「ひろった恋とはどのような意味か」と考え込んでしまう。
「あなたを待てば 雨が降る
※2」と唄っていた男性歌手もいた。あれ? そういえば、歌謡曲の歌詞って、どうして雨、雪、川、霧、涙、港、波などと水っぽい言葉が多いのか。つまり皆、湿気が多い景色が好きなのかもしれないと思った。
いずれにしても、歌手は悲しそうな表情で唄っている。大人はしょっちゅう悩んでいるみたいだ。それは恋をしたからか? しかし、恋愛なんて、そんなに大事なものとは思えない。それとも、これだけ毎度のように恋の歌ばかりテレビから流れるのだから、大人はいつも恋人のことを考えているのだろうか。
「ああいやだ」と私は独りでつぶやいた。恋愛とは関係のない生活を送れば、こんなに悩むことはない。よし、大人になったらそうしよう。一切恋愛なんてするまいと心に誓った。
この決心をずっと貫いていたら、私はもう少し賢い人生を送れたはずだ。残念ながら10代も半ばを過ぎたあたりから、しっかりと片思いの悲しさを知ったし、20代になったら、裏切ったり裏切られたりが続くのが恋愛なのかとため息が出た。
※1 作詞・野村俊夫「どうせひろった恋だもの」より引用
※2 作詞・佐伯孝夫「有楽町で逢いましょう」より引用