カルチャー&ホビー

工藤美代子さん【快楽(けらく)】第12回 恋には交通整理が必要です(後編)

2023.04.14

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潤う成熟世代 快楽(けらく)─最終章─ 作家・工藤美代子さんの人気シリーズ「快楽」の最終章。年齢を理由に恋愛を諦める時代は終わりつつある今、自由を求めて歩み始めた女性たちを独自の視点を通して取材。その新たな生き方を連載を通じて探ります。前回の記事はこちら>>

第12回 恋には交通整理が必要です(後編)


イラスト/大嶋さち子

文/工藤美代子

ホームに入った時に菊地氏は多くの入居者と知り合いになりたいと思った。食堂はそれぞれが勝手に好きな席に座る。何回か同じテーブルになった女性と話したが、どうも話題が合う人がいなかった。ところが、淑子さんと夕食で一緒になった時は違った。


まずは趣味が油彩画という点で会話の糸口がほぐれた。彼が師事する油彩画の先生が所属する会派に、彼女の先生も在籍していて、お互いの先生の名前を知っていた。

もともと淑子さんは仲良しの従妹の女性と一緒に、5年ほど前にホームに入居した。結婚はしていたが、旦那さんは60歳くらいで病気で亡くなっている。従妹もやはり独身だったので、初めの頃は二人で楽しく過ごしていた。ところが、1年ほど前から、淑子さんより年下のはずの従妹に認知症の症状が現れて、別の施設に移ったという。

すっかり話が弾んだのは二人の趣味が多彩だったからだ。菊地氏は毎日ビリヤードを1時間して、油彩画の教室に月2回通い、ゴルフ場は月3回コースに出る。その上、週に2回は社交ダンスの教室にも通っていた。淑子さんも乗馬やゴルフが好きで、彼と同じくらいアクティヴだった。地下鉄で外出をすることも多い。だから、二人の日常は老人の生活というよりも、裕福な中年の知人たちを思いおこさせる。親の残した財産や株の配当で暮らしている人たちだ。

菊地氏は、淑子さんに一目惚れをしたらしい。姿勢がきりりとしていて、服装の好みも抜群に良い。少し話せば頭の回転が速いのもわかった。

だが、淑子さんの年齢を聞いて菊地氏は少し驚いた。90歳だという。どうやっても90歳には見えないのだが、彼女は自分より10歳年長である。

実はそう言ってから、菊地氏は淑子さんの写真を見せてくれた。私はその美しさに口をポカンと開けて言葉が出なかった。すっきりと細身で、少女のように清純な顔立ちだ。もし私が淑子さんと並んで立ったら、私の方が絶対に年上に見えるだろう。さっき、菊地氏の肩の後ろに覗き見えたのは、間違いなく、この桜の花びらのような女性だと確信した。

女優さんなどで80歳を過ぎても年齢を感じさせない人はいる。しかし、それは言葉は悪いが作り込んだ顔である。外科的な処置をしたのかレーザー治療などを施したのかは不明だが、何らかの手を加えていると感じる。

それに比べると淑子さんは自然の美しさだ。年齢相応の皺もあるのだが、顔の皮膚が醜く垂れ下がっていない。こぢんまりと纏まった美しさを保っている。
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