ひと組の茶箱とともに、京都の好きな場所をご紹介する本連載。今月は京都御苑の西側に昨年8月オープンした「茶ノ実鶴園」を訪ねました。有機無農薬にこだわった日本茶の専門店で、有機栽培日本茶ソムリエであり、遠州流の師範でもあるティアス宗筅(そうせん)さんがこの店のあるじです。
宮本武蔵に憧れていたベルギーの青年・ティアスさん
茶ノ実鶴園の店内。商品が並ぶスペースの奥に特製のカウンターがある。この場所を最初に訪れたのは、オープン後、少し落ち着いた昨年初秋の頃。古い木造建築を改装した1階のスペースには、木製のカウンターと、大きな試飲用のテーブルがしつらえてありました。
また店内には、ティアスさんが日本全国の茶農家をめぐって見つけてきた無農薬や有機栽培のお茶が並んでいて、煎茶はもちろんのこと、和紅茶や抹茶などの種類も豊富。そのいくつかを試飲させてもらいました。
19歳の時に、ベルギーから交換留学生として日本にやって来た彼は、もともとは「宮本武蔵」を読んで、武道に憧れていたのだとか。日本の文化を学ぶうちに茶道にも興味を持ち、遠州流の門をたたき、来日十年を超えた今では師範の資格までお持ちです。
茶ノ実鶴園2階にある茶室。京都の旧家の風情がそのままに。ひとしきりお茶をいただいた後、「2階もご覧になりますか」と言われ、いざなわれるまま階段を上ると、そこには1階のスペースとは全く異なった趣の和室がありました。いわゆる京都の古い家に昔からある座敷そのもの。
もちろん障子襖や畳は新しく替えられていましたが、どこか懐かしい空間です。幼い頃にこの近くにあった親戚の家もこんな座敷だったことを思い出しながら、据えてある風炉の前に座った途端、「ああ、気持ち良い。ここでお茶をしたい!」と思ったのです。
その想いは、そのまま口を突いて言葉になり、ティアスさんが「そう言ってもらえると嬉しいですね。どうぞ使ってください」と、おっしゃったときには、できるだけ近いうちに茶会をしようと心を決めていました。
わたしのホームグラウンドができたよう!
そして本当にそれから1か月ほど後、「後(のち)の月」(旧暦9月13日の名月)に当たる10月29日、ちょうど昨年の家庭画報.comの連載
「茶箱あそび、つれづれ」9月で組んでいた、月をテーマにした茶箱を用いて、ここ茶ノ実鶴園2階の茶室で「月の茶会」を開催することになったのです。
時節柄、今までの茶会とは異なる配慮が必要となり、少なめに定員を設定し、お茶の出し方にもひと工夫したり、主菓子も干菓子もすべて銘々の器でお出ししたり。考えるべきことがたくさんあり、頭を悩ませました。
しかし、その時々に応じたやり方を模索するのもお茶の楽しみの一つ。一緒に亭主方を務めてくれた友人といろいろアイデアを出し合って当日に臨み、忘れがたいお茶の時間がまた一つ増えた貴重な日でもありました。
ティアスさんはその時も「また、どうぞ」とにこやかに歓迎してくださり、自身の茶室を持たないわたしは、まるでこの場所がホームグラウンドになったように感じ(勝手にですが)、幸せな気持ちを抱いたのです。
場所柄や季節を考えて、少し明るい道具組みを。そんなわけで、その思い出の広間に茶箱道具を持ち込んで、ティアスさんと一客一亭のお茶。自宅から歩いて来られる距離なので、大きなかばんに茶箱や涼炉(本来は煎茶道で使う、小さな風炉)などの道具を詰め込んでやってきました。
掛物や風炉先などはそのままお借りします。ティアスさんはいつも袴や作務衣の和装なのですが、今日はわたしのカジュアルなお茶に合わせて、あえての洋装(初めて見ました)。わたしも春の気分で白いワンピースを着てきたのですが、事前に打ち合わせたわけでもないのに、阿吽の呼吸でドレスコードが合うというのも嬉しいことです。
大いに悩んで組んだひと組
金色と黒を意識しながら、現代作家の作品で組んだひと箱。そして肝心の茶箱の道具組。久しぶりに大いに悩んだひと箱で、ひと月ほど考えあぐねて、ようやく前夜に組み終えた茶箱を、当日の朝にガラリと変更したといういわく付き。いつも直感で道具を組むわたしにとって、こんなことは珍しいのですが、その理由は明快でした。
前日までは、モダンな神代杉の茶箱に、フランスの陶芸家が作ってくれた造形的な赤楽茶碗をメインに道具を組んでいました。これはベルギーから日本へやってきたティアスさんへの歓迎の気持ちでしたが、よく考えれば、彼は日本の文化に憧れてきたわけですし、綺麗さびの遠州流を正統に学んでいる人。
ましてやこの日の茶の舞台は、京都御苑のすぐ隣です。もっと古典的に、もっと華やかに、さらには御所風に、そして今の日本の工芸作家の道具の美しさをお見せするべきだ!と当日の朝にようやく思い至るという鈍いわたし。
いや、ティアスさんから感じるお茶の世界の豊かさが、モダンからクラシックまで幅広く、こちらも道具組に振れ幅があったというのも事実です。
木地に大和絵技法で装飾した茶箱に、瀬戸黒の筒茶碗、唐花蒔絵が施された中棗、濃紺色のガラスの振出などを組み込み、菓子は偶然、前日にお参りしていた伊勢内宮で頂戴した御紋菓を、金色の銘々皿にのせて、お下がりのお裾分けといたしました。
カジュアルなファッションでも、品格のある所作のティアスさん。ティアスさんとお茶の時間を過ごしたことは、これまでにも何度かあるのですが、いつもその所作の美しさに心打たれます。この日も茶碗に添えた古帛紗を丁寧に扱いながら、持参した無農薬のお茶を美味しそうに喫してくださいました。
遠州流とは異なる帛紗の扱いにも長じていらして、そこから流儀の違いなどについて会話が弾みます。また、それぞれの道具のことをお尋ねくださるので、やっぱりこの道具組にしてよかったと心から思うひととき。
お茶の幸せは国も世代も超えて
1階の大テーブルにしつらえられたティアスさんの道具類。抹茶を一服差し上げた後に、今度はティアスさんが1階の大テーブルでもてなしてくださることに。ふだんから、訪れる人たちにこのテーブルでお茶を出していらっしゃるのですが、今日はわたしのために道具を用意してくださっているという贅沢。
お好きだという常滑焼の急須で福岡八女産の紅茶をいれてもらいました。実際に使う急須以外に、繊細な彫りが施された急須を飾ってあったり、随所に客への心遣いを感じます。
八女の紅茶の1煎目。細かい青海波の碗に水色が映える。1煎目の水色と香りを楽しんだ後、2煎目を待つ間に菓子をすすめられました。パン・デピスという、ベルギーではふだんに楽しむ家庭的な菓子だそうです。
「ロータスってビスケットがあるでしょ。あれはどちらかといえばコーヒーとの相性が良いのですが、このパン・デピスはクローブやナツメグなどの数種のスパイスやはちみつが入っていて紅茶に合うと思うのです」とティアスさん。
スパイスの効いた焼き菓子をいただきながら、今日の紅茶の茶葉についてもお聞きします。
「これは、べにふうきという品種から作った単一種のお茶なんです。もちろん有機で無農薬。べにふうきってね、ハイブリッドなんですよ」
「ハイブリッド?」
「母親はべにほまれ、アッサム系の品種です。そして父親はダージリン系。両方の特徴を兼ね備えているのです。1993年、茶葉としては44番目に旧農林水産省野菜・茶葉試験場の命名登録がされています」。
と、ふだん聞くことのないお茶の説明が詳しく始まりました。
いつも博学なのですが、ご一緒して楽しいなと感じるのは、ティアスさん自身が日本茶や茶道をとても愛していらっしゃるから。澄んだ目の奥底がいつも笑っていて、ユーモアに溢れていて、生まれも、育ちも、世代も異なるけれど、どこかお茶を通じて、つながりを感じられる人なのです。
これからお互いにどんなお茶をしていけるのかが楽しみ。こうやってお茶を一緒にいただくときがまた必ず訪れる、そう感じる人に出会えることはとても幸せです。