家に籠もることが増えている昨今ですが、部屋の中に植物があるとないとでは、空気がガラッと変わるのを感じます。
ふだん朝の散歩を日課としているので、川べりで野の花を摘んできて一輪挿しにしたり、大風の翌朝に神社の参道に落ちている小枝などを持ち帰って壺に投げ入れたりしています。
大地と繫がっている生命の力を分けていただいているというような感覚。小さくても庭があればいいのですが、街中のマンション暮らしでは贅沢はいえませんから、せめて植物たちを部屋に生けることで、暮らしの中で小さな息吹きを味わっています。
和花を中心に季節の花々に出会える店
もちろん、花屋さんの店先の花を持ち帰ることもあります。かつて茶の月刊誌の編集をしていた頃、茶室のしつらいの撮影などでずいぶんお世話になったのが、京都の北区の住宅街にひっそりと店を構える「花・谷中(はな・たになか)」さん。
谷中の店先。使い込んだ杉桶に花々が揺れる。雑誌の取材は常に本来の季節よりも撮影が前倒しになってしまうので、必要な花材を得るのに苦労します。特にお茶はその時々の季節感を大切にしますから、花もどうしてもその時季にしか得られないものが珍重されます。
京都には心強い花のお店がいくつもありますが、谷中さんにも大変お世話になり、夏には初冬の椿、秋には新年の日陰葛、また冬になると翌年の梅や桃など、度々こちらの無理難題を相談に行きました。その度に、谷中正道さん、眞理子さんご夫婦から「見つかるかどうか、探してみましょう」と、助けていただいたのも懐かしい思い出です。
山から届いた笹百合。可憐で凛として、この清らかさは別格。谷中さんのお店に並ぶ花たちは、どちらかといえば野の草花や山から採ってきたような枝ものが多いのも魅力の一つ。以前「和の花専門なんですか?」とお聞きしたことがあるのですが、眞理子さんは「いやあ、そんなつもりはないのだけど、好きな花を集めているとそんな感じになっているだけかな」と笑っていらっしゃいました。
早春には「チューリップ祭り」と称して、40種類ほどのチューリップを集めた恒例イベントを開催したり、季節ごとに心惹かれる花に出会える楽しいお店なのです。
久しぶりに無理難題の花材を依頼しました。この時季、山に咲く、笹百合。笹百合といえば、百合の仲間の中でも特に儚げな印象がありますが、なかなか花屋さんで見かけることの少ない花。
三島由紀夫の『豊饒の海』の「奔馬(ほんば)」にも登場する神がかった花ですが、咲く期間も短く、奈良の山奥に住む知り合いに「その時季になったら山に連れて行ってあげるよ」と言われながら、何年もタイミングが合わず、長らくお目にかかっていませんでした。
谷中さんは早速市場に問い合わせてくださり、一方で懇意の「切り出し屋」さんにも連絡を入れられたようです。切り出し屋さんとは、どこの野山にどんな植物があるか熟知したいわば花のハンターだそう。
「山の笹百合は最近は数も減っている上に、鹿がすぐ食べちゃうからねえ。市場にもそんなに入荷しない花だし。入ったら連絡するね」と言ってくださって、こちらはさて、この時季にどんな茶箱を組もうかしら、と思いを巡らし始めました。
理想の寸法を手さぐりしていた頃の思い出の箱
実は谷中さんには
この連載で一年前にも茶箱を組んでいます。その時は「秋の七草」をテーマに月見のひと箱を組んだのですが、今度は7月ですから七夕の趣向でいこうと思います。実際には笹百合は6月頃の花で、伝統的な七夕の旧暦7月7日は、現在の8月ですから、ちょっとタイムラグがありますが、今回は「笹」にかけてということで。
そこでずいぶん前に作った木地の方形の箱を出してきました。
通常の大きさの茶碗が入る寸法を考えて、正方形に作った茶箱。以前、自分が使い勝手が良いと感じられる茶箱のサイズをいろいろと探っていた頃のひと箱です。なぜ、この方形を作ろうと思ったか、いくつかの理由があります。
まず、通常サイズの茶碗を入れたいと思ったから。長方形の箱にしてしまうと全体が大きくなってしまい、持ち運びが不便なので、正方形にすることでコンパクトに。そうすると今度は茶碗以外の道具の入れ場所をどうするか、という問題が生じますが、箱に高さをつけて道具を重ねることで解決し、スッキリと収まるものができました。
こうやって出来上がりを見ながら、順序立てて言ってしまえば、すべてが当たり前のことなのですが、考えをまとめるまでに、使い勝手や道具類のサイズ、見た目の印象など、さまざまなことをああでもないこうでもないとぐるぐると夢想し、試行し、確認します。
まあ、それが楽しいのです。わたしは道具の意匠もさることながら、寸法にこだわりがあり、街を歩いているときもさまざまな物のサイズを手測りで確認する癖がついてしまったほど。夢中になることがあると、その「沼化」は自分でもいつもおかしくなるほど深くなってしまう。渦中にいるときってどうも恥ずかしくて人に言えない。恋に近い、いや恋かも。ひとりであれこれ試していた、わたしの茶箱草創期。
そんな理想の寸法にたどり着くまでの思い出の箱を引っ張り出してきたのは、今回使いたかった茶碗があったから。
木地の盆の上に道具を組み直し、「一服差し上げます」。凛としつつもゆらぎを感じる青磁作品で知られる川瀬忍さんの茶碗。何年か前にようやく手に入れた宝物の一つです。刻々と色を変える宵の空の一瞬をとらえたような色合いが「七夕」のテーマに合う気がして、この茶碗をメインに道具を組もうと決めました。
木地の茶箱の清浄さも、節供の一つである七夕っぽいし。友人の陶芸家・福本双紅さんにサイズを指定して作っていただいた白磁の菓子器を箱の下に入れて、その上に青磁碗を重ねます。
茶器は小ぶりの羊歯文様の棗。器全体に2色の金で羊歯の蒔絵が施してあります。無地の器を好んで使うため、こういう総柄の道具はポイントとして重宝するのですが、いくつも持てるわけではないので、いろいろな季節に利用できるものを。新年には「ウラジロ」、夏には「しのぶ草」、秋はまさに「羊歯」というような気分で多用しています。
可憐な笹百合を愛でながらの一服
山から届いた笹百合。ツンと尖った蕾も、咲き初めの姿も気品あるたたずまい。そうこうしているうちに、谷中さんから「笹百合が来ます〜」という連絡を受け、お店を訪ねることになりました。市場ではやはり見つからなくて、山から届いた笹百合。花を見ているだけで、爽やかな風が吹き抜けるよう。「それはまるで百合のように汚れを知らない」という歌のフレーズがあったけれど、まさにそんな感じの清らかさです。
谷中さんの店先には、使い込まれた杉の桶が並んでいて、ご主人の正道さんが黙々と届いた花の水揚げをし、順番に中に入れていきます。運搬の途中で眠っていた花たちが、ここ谷中さんで目を覚ましてゆく。町家で土間のタタキに並ぶ花たちは、どこからか抜けてくる風にゆらゆらと揺れて、気持ちよく呼吸をしているのがわかり、それはとても美しいのです。
さてさて、おふたりに一服差し上げました。
近くの和菓子屋「松屋藤衛兵」の「珠玉織姫(たまおりひめ)」という5色の干菓子を菓子器に入れて、銀の匙を添えて出しました。一年中ある菓子ですが、やはり七夕の頃にはいただきたくなる京銘菓の一つ。眞理子さんが「あ、梶の葉があるよ」と出してきてくださったので、菓子皿の代わりに使います。
お茶を点てながら、「百合の花って結構種類がありますよね」とわたし。「そうそう」と眞理子さん。
「どんな種類があります?」「笹百合、姫百合、乙女百合。わたしはやっぱり笹百合が好きかな。他にも鹿の子百合、高砂百合、黒百合、鬼百合。日本列島は長いでしょ、地域によってもいろいろ種類がある」。
乙女から鬼まで、この花の名前の豊かさにも驚きます。咲く時期もいろいろだそう。この後、茶器を見ながら羊歯の種類の話になったり、道具や花を通じて話題が尽きません。
そして「ふくいさんにもね、お菓子があるよ」と出してきてくださったのが、これまた谷中さんの近所にある和菓子屋「紫野源水」の生菓子2種。わあ、嬉しいな。もちろん2つともいただきました。ちょっと嬉しくて、興奮して、写真がピンぼけになりました。
今回はせっかくですから、貴重な笹百合の写真をたっぷりを紹介しておしまいとさせていただきます。