月が替わるとともに、急に秋めいてきました。朝、窓を開けると爽やかな空気が入ってきて、とても気持ちが良いものです。今年は少し季節の巡りが早いのかな、いやもしかしたらむしろ暦どおりなのかもしれません。
高野山で出会ったお茶仲間
時折、集まってお茶を楽しむ友人たちがいます。
以前、高野山の奥の院を巡るナイトツアーの1泊旅行に誘ってもらい、翌日の高野山散策の途中で茶箱のお茶をした仲間。そのときは高野山行きの発案者でもあるIさんが、茶籠を持ってきてくれて、神社の境内の芝生の上で車座になってお茶をしました。
高野山での野点。一服の茶とともに、山の澄んだ空気を吸い込む。京都に帰ってからも、時折その仲間たちと京都御苑に集い、早朝のお茶を楽しんでいます。7時に集まり、御苑の木製テーブルの上でささっと準備し、めいめいが持ち寄った軽い朝食を食べ、お菓子を味わい、抹茶を一服。そして9時前には解散!
これは時節柄、長時間一緒にいるのを避けているというよりは、それぞれの性分というか、みんなせっかちといわないまでも、パキパキと物事を進めたい人ばかりが集まっているからでしょう。
9時に解散するとその日の次の用事へと、自転車に乗り込み、蜘蛛の子を散らしたように去ってゆく。その淡き交わりがいかにもお茶らしいなと感じています。
もちろんそんなときも、茶箱が活躍します。いつでも、どこでも、気軽にお茶を点てて楽しめるのが、茶箱の最大の魅力。しかしながら、時には茶室のお茶にも心惹かれるもの。
換気も兼ねて開け放たれた茶室のにじり口。庭の緑が清々しい。特に小間の茶室に入るとどこか懐かしいという感情が湧きます。一碗の茶のためにすべてが考え尽くされた茶室という空間には、他には替え難い不思議な力があることを実感していて、今回はふだんは外でお茶を楽しむ仲間が、東山山麓から程近いIさんのご自宅に集いました。敷地の奥に本格的な小間の茶室があり、ここで一年を通して折々の茶事をされているのです。
胃袋も心も満たしてくれる、美しいお弁当
井政の仕出し弁当「茶福箱」。びっしりと料理が詰め込まれていて、食べ応え満点。誰かの家に伺うと、どうしてもその人に負担をかけてしまいます。できるだけさらりとあそびたいわたしたちは、今回仕出し屋さんにお弁当を頼みました。
京都の卸売市場にも近い、七条通に店を構える井政の「茶福箱」。名前も素敵ですが、木地の二段重にぎっしりと手間入りの料理が30種類ほど詰められています。
以前にもこのメンバーでこの茶室に集って茶福箱でお茶をしたのですが、見た目の楽しさ、料理の質の高さと量の多さに驚き、「また別の季節に頼みましょうね!」と話していたのです。
料理の下に別の料理がびっしりと隠れているというこの弁当、井政のご主人・井上勝宏さんの丁寧な仕事と料理への愛情がたっぷり詰まっていて、胃袋も心も本当に満足するのです。
ふだんの茶事のときは待合(まちあい・茶室に入る前に客が準備をする部屋)に使われている母屋の座敷でお弁当をいただきます。
家庭ではこれだけの種類の料理を作るのはなかなか難しいから、大いなる贅沢です。初紅葉を意識したという初秋のご馳走。小さな練り物の中に大徳寺納豆が入っていたり、名残の鱧が向付の中にあったり、俵形のごはん以外に小さな巻寿司が3種も入っていたりして、本当に手抜きがないのです。
蒔絵で華やかに
本番のお茶は小間に移動。瓶掛と銀瓶を用意していただき、茶箱を運び出します。
茶室の点前座。蒔絵の茶箱がやわらかな光を受けて、いい感じ。女子の集いなので、蒔絵を中心とした道具でまとめた華やかなひと組。仕覆や網袋などで包むと、ぴったりと全部が箱に収まる快感。屋外での茶箱は割とカジュアルな見立てのものを組むのですが、このような本格的なお茶の空間には、やはりある程度お茶道具として作られたものがふさわしい気がして、今日は蒔絵の小箱に、わたしとしては珍しくオール茶道具として作られた少し古いものを組んできました。女子の集まりなので、可愛く華やかにしたいと思い、蒔絵を道具を多めに入れているのも今回の特徴です。
菓子もあるじの器を借りて美しくセッティング。シンプルな羊羹もこういう器に盛ってもらうと気持ちが上がる。菓子は、八坂神社にも近い祇園の甘泉堂の水羊羹を用意しました。夏の涼菓ですが9月まで作っていて、涼しくなったとはいえ、このような喉ごしの良い菓子がまだまだ嬉しい季節です。
萩の名工、三輪休和の小茶碗。晩年の作だろうか、衒いのない形だけれど、割高台など茶碗らしい特徴はきちんと押さえたお気に入りの茶碗。集った方々はふだんからお茶の稽古の仲間でもあるようです。屋外などでざくっとお茶を点てているわたしは、高野山行きが縁でこうして時折仲間に入れてもらいます。
そんな方たちの前で、きちんとした茶室の空間で、帛紗(ふくさ)を捌(さば)いて点前をするというのは、いつもとは違う緊張感があります。でも、こういうのも大事だな、と思いながら、道具を一つずつ箱から取り出してゆきます。
すぐさま「そのお茶碗は何?」「振出し安南だー!」などの声が。道具について一つひとつ楽しそうに眺めてもらえるのは、こちらも吟味して道具を組んできただけあってやっぱり嬉しい。道具を介しての反応というか、交流というか、そこから生まれる会話がお茶の醍醐味の一つでもあります。
ひと通りお茶を点てたところで、メンバーのMさんが「お点てしましょうか」と言ってくださって主客交代、わたしも一服いただきました。
お茶がもたらす軽やかな非日常
床の間には庭の花を入れてくださっていた。名残の桔梗などと、芒(すすき)の初づかいだそうで、夏と秋が行き交うこの季節にぴったりの花たち。いつも感じているのですが、お茶というものは本当に不思議な力を持っています。ただ抹茶を点てて一緒にのむ、というわずかな時間を過ごすだけなのに、ほかでは得られないような気持ちの交流が生まれます。
たとえば宴会のように皆で会食をするのだって、ある種の一体感を得られると思いますが、それよりももう少し軽やかというか、爽やかで心地よい風が吹くような感覚。
もう一服差し上げて、茶室を退室しました。そうしてみんな自転車に乗り込み、また今日もそれぞれの日常に戻ってゆく。お茶がもたらしてくれるひとときの非日常をくぐり抜けることで、またいつもの日々が輝くのだと思うこの頃です。