スーパー獣医の動物エッセイ「アニマルQ」 動物たちの命を守る砦として難病患者たちに高度な医療の数々を提供してきた野村獣医科Vセンター。その一つが再生医療です。細胞の培養から始まるこの新たな治療法を野村先生が始めて早7年。目に見えない世界で起こる再生と治癒のプロセスは、細胞たちと院長の会話によって進行します。
一覧はこちら>> 第11回 ミクロの工兵たち
文/野村潤一郎〈野村獣医科Vセンター院長〉
マイナス85度の医療用冷凍庫に眠っていた我々は、38度の解凍液に浸され長い眠りから覚醒しつつある。生命の炎が再び点火されて意識が徐々に戻るとともに、己の存在理由と使命を思い出す。
そう我らは精鋭・再生医療細胞部隊。目標の器官に到達し損壊した組織に変身して置き換わり、肉体の機能を正常に戻すのが仕事である。
私を含めたメンバーは全員が人工的に培養された特殊な幹細胞だ。
「総員起床し、任務に備えよ」
「了解」
「隊長、環境温度上昇、危険領域に突入します!」
冷凍庫から復活したばかりだというのに早速最初の試練がやってきた。体内に移植される我々は体温と同じ温度に加温される。解凍により周囲が徐々に温まり、特定の温度領域に達すると最悪の場合仲間の半数以上が命を落とす。
ババーン!
「隊長、第一小隊が破裂しました!」
「我らが大将は熟練者だ。最速で作業中のはずである。耐えよ」
「安全温度に到達しました」
「みんな生きてるか」
「第二小隊以降は無事のようです」
「よし次の衝撃に備えよ」
矢継ぎ早に行われる作業は、幹細胞たちの数量確認と状態検定だ。細胞懸濁液の一部が独製のカールツアイス顕微鏡の下で特殊染色される。沈黙した細胞は青く染まり、健全なそれは白く輝く。
「被害状況報告せよ」
「回収率90パーセントの模様です」
「おー、優秀だ」
無菌に保たれたクリーンベンチの試験管の中で胸をなでおろす我ら。ふと凍結される前の試練の記憶がよみがえる。若く瑞々しい体内で生まれて育った我々は、誰もがそのまま平穏に暮らすのだと信じていた。
しかし生体組織と共に採取され、気の遠くなるような複雑な工程を経て分離、培養、増殖そして洗浄を繰り返され、耐えられぬ者は脱落する厳しい日々が続いた。奥歯がすり減るほどの艱難辛苦を乗り越え、その結果、今我らはここにいる。戦闘工作部隊として生まれ変わったのだ。
精鋭の誇りと使命感にいやがうえにも胸が高鳴る。いよいよ活躍の時が来た。闘志みなぎる同胞たちの頰はますます赤みが増している。「やるぞ」「やってやる」士気が高まる。ここで最高司令官の声が響いた。
「私は諸君を育てた野村院長である。諸君は故郷とは異なる別の肉体に移植される。患者の体重1キロ当たり諸君100万個を動員する。今回の標的は脊髄である。壊死した神経を再生し、患者を苦痛から解放せよ。不退転の決意で健闘するように。成功を祈る」
「アイアイサー」
幹細胞たちは既に触手を縮めて球体の状態になり、発射準備完了の構えで待機しているのだった。
「センセイ、治りますか」
飼い主の心配そうな顔が至近距離に迫る。その距離、実に200ミリ。コロナ対策のマスクの隙間から呼気が噴出して、私の眼球をくすぐる。人類は不安になると、相手に顔面を接近させる習性がある。
「ダメだったことはわずかです」と私は答えた。