スーパー獣医の動物エッセイ「アニマルQ」 動物病院はよくも悪くも人間の本質があらわになる場所のようです。ペットが怪我や病気をした時、飼い主はベテラン獣医師・野村先生の前で、ペットに注ぐ愛が本当の愛か、あるいは見かけだけの張りぼての愛か、明かさざるを得ないのです。とはいえ本物の愛でもその形は一様ではなく人それぞれで……
一覧はこちら>> 第16回 病院の不思議・飼い主編
文/野村潤一郎〈野村獣医科Vセンター院長〉
今ではすっかり“老舗”の仲間入りをした我が病院も、当たり前のことながら初々しい新規開業時代があった。師匠の激しい修業に耐え、心と技を磨いた私は、国民金融公庫(現日本政策金融公庫)からわずか800万円の資金を借りて動物たちの病魔と決戦する死闘の場を築いた。
賃貸ガレージを改装したわずか13坪の当時の病院は、現在の巨大な野村獣医科Vセンターのバリアフリートイレ程度の広さしかなかったが、一国の主となった私にとっては己の全てであり誇りでもあった。
これは自慢だが、私は日本有数の伝説の名医の一門会、別名野武士会とも呼ばれた非常にまじめで硬派な獣医道流派の最後の弟子である。
最近は根拠不明の自信を持った“意識高い系”の若い獣医師たちが“徒弟制度”を嫌って修業もせずに参考書を片手に無責任な我流をふるっているが、これは言語道断である。師匠を持たないデタラメ剣法は一切認めることはできない。
さて、そんなわけで私には一族の流れをくむ兄弟子たちが日本中に存在するわけだが、こわい先輩たちの中でも特に話のわかる高峰先生からもらったアドバイスは希望に満ちた門出を一転恐怖に叩きこむものだった。
「開業初期の試練に覚悟」
「といいますと?」
「不可解な現象だが、皆が通る道だ」
その時はすぐに訪れた。
「アフリカから直輸入したサルが謎の性病です!」
「8キロの犬のお腹に20キロの腫瘍があります!」
「猫の顔が割れて癌の塊が飛び出ています。何とかして!」
一般的な診療に混じって、見習い時代の知識と技術では対処できそうもない難病患者たちが次から次へと押し寄せてきたのだ。
「こんなの初めてだ……」
兄弟子曰く「当たり前だ。世界は広い。苦しんで自力で解決しなさい。修業の成果をここに示せ」
私のスローガンは患者に対する興味と愛情、そして責任である。眠れない夜が続く。突破口を見つけて解決しても、すぐに次の強敵が現れる。特に責任の重圧は地獄だった。無理をして疲労困憊し、何度も意識を失って倒れた。
「その地獄にもう一つの地獄が加わるであろう」と兄弟子。
「ええっ?」
獣医医療の業務は複雑だ。人間の病院と大きく違うのは、“弱った動物たち”を病院に連れてくるのは“元気いっぱいの飼い主たち”であることだ。飼い主が健康なのはいいとして、問題はその性癖である。
「5万円で買った犬の癌の手術に本体価格以上の金は出せない」とか「うちの犬に死んでほしくなかったら、無料で治療をさせてあげてもいいよ」とか「治し方を教えてもらうだけでいい。自分で薬を買ってきて注射する」など、これでもかというくらいに“変な人たち”が大勢押し寄せてきたのである。
少しでも逆らえば「ヤブ医者だって言いふらしてやる!」ときたもんだ。
病魔との戦いで手一杯なのに、変な人たちの理不尽な要求が私の精神をボロボロに消耗させることになった。分析するに、地獄その一は“他院で見放された病気の動物を何とかして治したい人たち”、地獄その二は“他院から見放されたどうかしてる人たち”なのかなとも思う。
とにかく新しく開業した病院は、例外なくこういった患者が殺到するという不思議。私の場合はメディアに紹介される機会が多く、患者が日本中から来るため、これが10年以上続いたのだった。