スーパー獣医の動物エッセイ「アニマルQ」 お盆もお正月も患者はまったなし。年中無休の野村獣医科にはひっきりなしに動物たちがやってきます。訪れる飼い主たちも百人百様。見上げた飼い主もいれば、困った飼い主が難題を持ち込むことも。動物たちの命のために日々粉骨砕身で働く病院で繰り広げられるさまざまな人間模様、そして動物模様。
一覧はこちら>> 第5回 ある日の診療日誌(1)骸骨のような猫が病院にやってきた
文/野村潤一郎〈野村獣医科Vセンター院長〉
犯人の特定が逮捕の条件であるように、病気の治療には原因の究明と病名診断が必須だ。飼い主の話から重要な証言を引き出し、五感を働かせて異常を見抜き、必要ならば機器を用いて無駄のない検査をする。
そして、チンプンカンプンな飼い主、すなわち「イヌにも癌があるんですか?」的な無知な人や「ネットで調べたところこれは〇×症候群ですので……」みたいなわけのわからないことを言い出す人たちに、解りやすくかつ親切に説明し納得してもらい、やっと治療を開始……。
書けば簡単に思われるかもしれないが、これを真心こめて親身に行う毎日は実に過酷である。これは、病院という箱の中から出ることを許されず人生時間を拘束され、他人にエネルギーを捧げながら行う知的労働であり、肉体労働であり、感情労働でもあり、飼い主を客として見た場合、究極のサービス業とも言える。
しかし、視点を変えて大好きな動物たちを対象にしてみると……「センセ、コンニチワニャ」「センセ、アチョンデワン」と動物たちの声がして……摩訶不思議、全然……ぜんぜーん辛くありません。
某年元旦
頑張って診察しているのに待合室はどんどん患者で埋まってしまう。それもそのはずで10分に一人ずつ動物を抱えた飼い主が来院するのだ。我が病院は年中無休で盆暮れ正月も休まないが、何も人手不足のこの日を狙って来院しなくても……とも思う。しかし病状が急変することもあるから仕方がない。
「ふうふう、ヒイヒイ、次の方どうぞ~」
「先生、この猫、クサヤのような臭いがするんです」
と新患の飼い主、中年の女性である。
まもなくガリガリに痩せた骸骨のような顔に苦悶の表情を浮かべた長毛種が、診察台に載せられた。何処が手なのか足なのかわからないくらいに毛玉が絡みついている。
「奥さん、手入れが悪いですね。これは肉が腐ったニオイですよ」
この雄猫のフェルト状に固まった毛をかき分けて原因を探すと、私の指はすぐに鋭くとがった何かに触れた。左脚の太腿をひどく骨折していたのだった。しかも竹やりのような骨折端が皮膚を突き破り、露出した骨髄にゴミや土が詰まって腐っていた。周囲はほとんど壊死していて皮膚はボロ雑巾、肉は真っ黒な泥状、骨は茶色く腐った竹のようだった。
あろうことか背中には小型の注射器の針が刺さったままになっていた。どこかの先生、骨折を見逃しただけではなく、針が注射筒から外れたのにも気が付かずそのまま帰したらしい。「心ここに在らず」の診察は暴力に等しい。この飼い主にしてこの主治医……猫が哀れで涙が出た。
「夏だったらウジムシが湧くレベルですよ」
「治りますか」
「切断して整形するしかありません」
「脚を切るのはちょっと、お金もかかるし」
「じゃ、オマケで安くしますよ! この猫は呑んべえのボンクラ獣医とバカな飼い主の犠牲者だ!」
ケチな飼い主の値引きに応じたのではなく、猫にお年玉をあげたと思えばよい。かくして正月早々、猫の腐った脚の切断術が始まった。
状態が悪すぎるため、麻酔と同時に点滴を開始し、人工呼吸装置も作動させた。バイタルはプアリスクだ。スピードが勝負になる。
リンゲル液と抗生物質で洗いながら、腐敗した皮膚と筋肉と骨を取り除く。
整形後の傷の治癒に必要な栄養血管は極力温存する。残す筋肉を動かす神経も同様だ。筋肉は神経の信号がなくなると消滅してしまう。そうなると骨の切断端が皮膚を内側から圧迫していずれ突き出てしまうのだ。
残った太腿の骨の末端をヤスリで丸く削り、人工骨で充塡する。それを生き残った筋肉と脂肪でくるんで縫合固定し、皮膚を野球のボールのように丸く縫い合わせて整形をする。
身体の表側の厚い皮膚を伸ばして、腿の裏側半分までカバーするのが強度を出すコツだ。このように仕立てておけば、義足や車椅子を使う場合にも融通が利く。
地獄の痛みから解放されたこの猫は、高温に保たれた猫専用の入院室で快適に覚醒した。