第1回 犬と人のテレパシー通信
文/野村潤一郎〈野村獣医科Vセンター院長〉
磁石をぶら下げると必ず南北を示す。当たり前のことだが、大昔にはそれが何故なのか説明できる者はいなかった。誰もが世界は平らであると考えていた時代に、地球の“磁力線”の影響でそうなるなんて誰が思っただろう。
西洋の怪奇譚、呪いの指輪のからくりは、ダイヤの台座に仕込まれたウラン鉱石だった。おそらく金持ちが財産を守るために経験的に利用したのだろうが、その理屈は悪魔の力以外考えつかなかったにちがいない。“放射能”が発見されるはるか以前の話である。
夜空を自由自在に飛ぶコウモリは暗黒の部屋に複雑に張り巡らされた針金をいとも簡単にすり抜ける。その能力は長い間、謎だった。
彼らがヒトの可聴域をはるかに超える“超音波”を使い、エコーロケーションを用いていることが判明するまで長い年月を要した。
こういった事例は沢山あるから挙げていったらきりがないが、とにかく多くの謎が科学の発展により暴かれ、それまでオカルトだった魔法の数々は当たり前の法則として認識されるようになった。
しかしこれで全てだろうか。現代においても解明されていない不思議は実はまだある。良識ある普通の人は、既知の法則を逸脱した話をすると「ホラ、出たよ」と笑うのが世の常だが、かの大天才エジソンの晩年の研究は“あの世と繫がる霊界電話”だったことを話すと「ほ〜う」と感心したりもする。
かくいう私は動物の世界に浸かって55年、獣医師になって35年、一応は科学者の従妹のはとこのヒョットコのようなものだから、生物学はもちろん数学も物理も化学も得意だし、ついでにいうとマッチョで男前で唄も上手い。
しかし俗にいうニセ科学や脳内お花畑、明らかにインチキなヤラセなどについてはかなり否定的ではある。
そんな私がいつも首をかしげてしまうのが、愛犬家とイヌの間で行われる“テレパシー通信のような現象”で、実はかなりの頻度で遭遇し、いつも驚かされる。
「センセ、うちのペスは心臓が悪いから留守番が心配。だから預かって」
「いいですよ、行ってらっしゃい何処へでも。で、帰りはいつですかね」
「う〜ん、わかんないのよ、
あてどもない自由な旅なんです」
「といいますと」
「
古いワゴンを直して自分だけのパラダイス()にしたんです」
「それユーミンの曲の歌詞でしょう?では、
派手なシャギー()をしいてボデイには
ティラノザウルス()の絵ですか」
「はい、
一番愛する誰か()を乗せようと」
「イヌじゃないのか!」
というわけで、飼い主はユーミンの『ワゴンに乗ってでかけよう』を口ずさみながら出発した。いつ戻るかもわからない主人を待つペスはとても寂しげだった。
「おまえのママは今ごろ
潮風感じてKeeponloving()だってさ」
「くーん、くーん、ヒィヒィ!」。
数週間が過ぎた。飼い主からの連絡はない。もしかしたらこのままイヌを迎えに来ないで行方をくらます気では、と思ったりもしたが、ぺスは食事をしっかりと食べる。毎回完食である。
これはイヌが「ママは必ず迎えに来る」と確信している証拠であり、それはかなりの確率で正しかったりする。
飼い主に捨てられた場合、つまり心の絆を失った時、イヌは生きる望みを失って拒食するのだ。
我が病院ビルの3階フロアーは入院施設になっていて、イヌたちはオリではなく大きなガラス窓のある個室に入る。そこからはエレベーターの扉とデジタルの階数表示パネルが見えるのだが、エレベーターのモーターがかすかにうなりを上げると皆一斉にそれに注目する。「自分の飼い主が上がってくるかもしれない」と期待するのである。
パネルの数字が変わる。1、2、3……緊張の瞬間だ……。
「ピンポーン、サンカイデス」
しかし出てきたのが看護師さんだったりすると、けっこうガッカリする。ママだった場合は「ワホッ! ワンッ! マンッ! ママンッ! ママッ!」と大喜びになる。
だから、この病院に泊まったことのあるイヌたちは「3」という文字が好きになる。