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カヌー・スラローム 羽根田卓也選手「僕らの使命の一つは 『夢の連鎖』。未来の選手に夢をつなげたい」

2021.07.20

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すべてを糧に未来を信じて 届け! スポーツの力 第1回(全3回) 私たちはなぜこんなにも、スポーツに魅了されるのでしょうか。天賦の才に恵まれたトップアスリートたちが血の滲むような努力をして限界に挑戦し続ける姿に自分の思いを重ね、諦めない心に胸を打たれ、未来への夢と希望を感じるからかもしれません。人生のすべてを賭けて、競技に向き合ってきたカヌー・スラロームの羽根田卓也選手、競泳の萩野公介選手、スポーツクライミングの野口啓代選手にスポーツへの思いを語っていただきました。

羽根田 卓也(カヌー・スラローム)
水の呼吸を読み、水を味方につけてさらなる高みへ


羽根田卓也(カヌー・スラローム)水の呼吸を読み、水を味方につけてさらなる高みへ

羽根田 卓也(はねだ・たくや)
1987年愛知県生まれ。父と兄の影響で9歳からカヌー・スラロームを始める。高校卒業後、単身カヌー強豪国のスロバキアへ。競技力とともにスロバキア語も磨き、同国の国立大学卒業、大学院修了。2016年リオデジャネイロオリンピックで、この競技アジア人初となる銅メダルに輝く。東京2020ではさらなるメダル獲得を目指す。ミキハウス所属。写真は、リオ五輪、カヌー・スラローム男子カナディアンシングル決勝。人工コースの激流のなか、羽根田選手は巧みなパドル捌きで、日本カヌー界悲願のメダルを手繰り寄せた。写真/picture alliance(アフロ)


世界で戦える力をつけたい一心で、18歳でカヌー競技が盛んなスロバキアへ渡った羽根田卓也選手。大学進学も諦めたくなかったため、競技生活と両立できる現地の大学の体育学科に入学し、言葉の壁に悪戦苦闘しながらも大学院まで進み、見事修了。その強い意志と抜群の行動力は感動的ですらあります。

試合で緊張するかを尋ねると、「めちゃくちゃしますが、緊張するのはあたりまえ。逃げずに自然体で向き合い、打ち勝つのが僕のやり方です」。

4度目のオリンピックを目前にした日本カヌー界のパイオニアは、どんな質問にも、爽やかな笑顔で誠実に答えてくれました。

羽根田卓也(カヌー・スラローム)水の呼吸を読み、水を味方につけてさらなる高みへ

2016年リオ五輪の表彰式では、満面の笑みで銅メダルを掲げた。この日から日本におけるカヌー競技の認知度が各段に上がった。写真/Shutterstock(アフロ)

現実離れした目標だったメダルに手が届いた日


――カヌーを始めた当初、激流が怖くありませんでしたか。

羽根田卓也選手(以下H) カヌー選手だった父に連れられて川遊びに行き、初めてカヌーに乗ったのは、1歳か2歳のときだと思います。さすがにその頃の記憶はありませんが、小学3年生のとき、兄と一緒に選手としてトレーニングをするようになった当初は、激流が怖かったですね。中学2年生くらいで激流を克服できるようになると、怖いものから楽しいものへと変わりました。

――今までの競技人生で、いちばん苦しかったのはいつですか。

H 2008年の北京オリンピックに出場した頃です。自分がどれだけトップから遠い位置にいるかがわかり、苦しいというより、気が遠くなるような感覚に陥りました。それからリオオリンピックまでの8年間は、一つ一つ階段を上っていった感じです。

――逆にいちばん嬉しかったのは?

H やはり、リオで銅メダルを獲得したときですね。高校生の頃からの夢でしたから。でも、当時は日本と世界のカヌーではレベルに大きな差があって、現実離れした目標だったんです。それが徐々に国際大会でも成績を残せるようになっていくと、現実味を帯びてきて。それでも、リオ大会の直前には、本当に自分は夢に手が届くのだろうかと不安になりました。だからこそ、メダル獲得が決まったときの感動、達成感は大きかったです。人生で最高に素晴らしい経験をさせてもらった瞬間でした。
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