ガラス張りの広々とした空間の奥に白い壁と、元の美術館で使用されていた蔵の扉が。踏み石が、扉の先の展示室へと誘導する。横幅約50メートルの白壁は左官職人・久住有生氏の力作。扉の横で出迎えるのは、藤田 清館長。広い土間とキッチンのある、新しいスタイルの美術館
2017年6月、63年間にわたって名品コレクションを展示してきた藤田美術館が、惜しまれながらも一時閉館しました。それから約3年の歳月をかけ、2020年8月、新しい美術館の建屋が完成しました。驚くのは、その開放感。
カウンターキッチン。グレーのカウンターは、左サイドの白壁同様、左官職人の久住氏によるもの。お茶などを提供するほか、美術館全館オープン後はインフォメーションカウンターにもなる予定。以前は道路から中の様子を窺うことができなかった土塀を取り払い、ガラス張りのモダンな建物に一新。道ゆく人も思わず近寄り、中を覗いていくといいます。特に人々の好奇心を刺激しているのが、交差点に面した角にあるカウンターキッチン。「ここは一体、どういった建物なのだろう?」。
上向きの庇と細い柱が特徴的なモダンな外観。交差点に面した2面の土塀が取り払われ、周辺が明るくなった。「美術館の役割の第一義は所蔵品の保護と展示ですが、それに加えて、大人から子どもまで幅広く楽しんでいただける美術館を目指したいと考えました。展示室手前のガラス張りの空間は、日本家屋でいう“土間”をイメージしています。家の玄関であり、近所の人が立ち寄ってお茶を飲む応接間であり、子どもの遊び場でもあるという考えのもと、美術館としては異例ですが、オープンキッチンを設けました。ここでお茶を楽しんでいただくほか、ワークショップや講演会なども開催していきたいと考えています」と藤田 清館長。
所蔵作品が陳列されるのを待つばかりの展示室内部。なるべく作品を身近に感じられるよう展示ケースにも工夫を凝らした。天井のルーバーは、旧美術館の蔵の床板を再利用したもの。土間の奥の白い左官壁に囲われた扉の奥が、展示室です。
「建物は竣工しましたが、美術品保護のため、展示室で作品をご覧いただく全面的なオープンは2022年4月からになります。それまでの間も、さまざまな形でこの美術館を楽しんでいただければと思っています」
ここから日本美術の新しい楽しみ方が育まれていくことでしょう。
藤田美術館の歩み
1841年
藤田傳三郎誕生萩の醸造家の4男として誕生し、10代から商才を発揮。明治維新では長州藩の一員として奔走。維新後は実業面から日本の近代化を支え、関西屈指の実業家に。その傍ら美術品を好み、海外流出や廃棄の憂き目にあった日本美術を保護する目的で蒐集を行った。
1869年
長男・平太郎誕生
1880年
次男・徳次郎誕生
兄弟ともに父に続いて実業の傍ら文化財を保護・蒐集した。
1912年
傳三郎没
1945年
大阪大空襲
藤田家本邸は全焼。美術品を収めた3棟の蔵が奇跡的に焼け残り、のちの藤田美術館となる。
1954年
藤田美術館開館
平太郎の妻、富子が初代館長を務める。蔵を展示室とし、春と秋の年2回展覧会を開催。
2017年
建て替えのため一時閉館
蔵の展示室の老朽化のため、全面的な建て替えを決定。
2020年8月
新建屋竣工
2021年4月
一部エリアをプレオープン予定。
2022年春
美術館全館オープン予定。