〔連載〕京都のいろ 京都では1年を通してさまざまな行事が行われ、街のいたるところで四季折々の風物詩に出合えます。これらの美しい「日本の色」は、京都、ひいては日本の文化に欠かせないものです。京都に生まれ育ち、染織を行う吉岡更紗さんが、“色”を通して京都の四季の暮らしを見つめます。
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濃き薄き花の色に、季節の移ろいを感じて
文・吉岡更紗暦の上では8月7日に立秋を迎えましたが、京都はその後しばらく残暑が続き、お盆に入ってからは記録的な大雨もあり、被害などが心配されましたが、そんな中8月16日には、お盆にお迎えしたおしょらい(精霊)さんを、大文字の送り火にてお見送りすることを、無事に終えることができました。昨年に続き本年も感染対策のため、点火する数が減らされていて、「大」「妙」「法」などの字を望むことはできませんでしたが、また来年もお迎えできるようにと願いを込めて手を合わせました。
例年、お盆が終わる頃になると朝晩の気温が下がり、やや過ごしやすくなるような気がします。草木をなでるような爽やかな風が心地よく、少しずつ秋の気配が感じられます。
こうした頃には、秋草の彩りが目につくようになります。薄(すすき)、萩、葛、撫子(なでしこ)、藤袴、朝顔、女郎花(おみなえし)などの花々が秋草とされていますが、いずれも可憐な、そよそよとした印象のあるものばかりです。江戸時代に作られた夏用の小袖や浴衣には、これらの秋草のモチーフがよく使われていて、まるで秋風がそこに吹いているような涼やかな雰囲気を感じさせます。
平安時代に書かれた『源氏物語』にも秋草についての記述がいくつか見受けられますが、その中でも「野分」の帖に、美しい情景が描かれているのが印象に残っています。「野分」とは台風のことですが、その台風が過ぎ去ったある朝、六条院に住まう女人に被害がなかったか心配した光源氏が、息子である夕霧にその名代を頼み、様子を見に行かせます。
左から「紫苑」「撫子」「濃き薄き(紫)」。写真/小林庸浩夕霧はまず秋好中宮(あきこのむちゅうぐう)の邸を訪れますが、台風後の朝ぼらけなので、少し気を許して御簾(みす)を巻き上げている女房の姿が見え、また4人ほどの幼い少女たちが庭におりて籠の中の虫の世話をしている様子を、夕霧は遠巻きに眺めています。その少女たちの衣装について、「紫苑、撫子、濃き薄き衵(あこめ)どもに、女郎花の汗衫(かざみ)などやうの、時にあひたるさまにて」と描かれています。
その時期に咲く、秋草を映したような彩りを纏った少女たちに、夕霧は大変感心するという場面です。その衣装の色を表す中に「濃き薄き」という表現がありますが、この時代の方々は紫の色を表すときには、その文字を使わず「濃き」や「薄き」と表現していることが多く見受けられます。高貴な色である紫への敬意の現れでは、と言われていますが、この季節にぴったりの「濃き薄き(紫)」の花、ということであれば、それは桔梗ではないかと想像しています。
廬山寺の庭園に咲く桔梗。写真/PIXTA梨木神社(なしのきじんじゃ)の東に位置する廬山寺(ろざんじ)の庭には桔梗が植えられ、見頃を迎えています。この庭は近年造園されたもので源氏庭と呼ばれていますが、廬山寺は紫式部の邸跡といわれていて、源氏物語と非常にゆかりのある場所です。桔梗の花は、やや青みのある紫の色をしていて、秋風にゆれる姿はとても優美な印象です。
吉岡更紗/Sarasa Yoshioka
「染司よしおか」六代目/染織家
アパレルデザイン会社勤務を経て、愛媛県西予市野村町シルク博物館にて染織にまつわる技術を学ぶ。2008年生家である「染司よしおか」に戻り、製作を行っている。
染司よしおかは京都で江戸時代より200年以上続く染屋で、絹、麻、木綿など天然の素材を、紫根、紅花、茜、刈安、団栗など、すべて自然界に存在するもので染めを行なっている。奈良東大寺二月堂修二会、薬師寺花会式、石清水八幡宮石清水祭など、古社寺の行事に関わり、国宝の復元なども手がける。
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更紗さんのお父様であり、染司よしおかの五代目である吉岡幸雄さん。2019年に急逝された吉岡さんの遺作ともいうべき1冊です。豊富に図版を掲載し、色の教養を知り、色の文化を眼で楽しめます。歴史の表舞台で多彩な色を纏った男達の色彩を軸に、源氏物語から戦国武将の衣裳、祇園祭から世界の染色史まで、時代と空間を超え、魅力的な色の歴史、文化を語ります。
協力/紫紅社