3月侘助
蕾が宿すいのちの息吹
語り/戸田 博
侘助(わびすけ)は椿の中でも小ぶりの花。「侘び」は、茶の湯の精神を表す言葉の一つですが、その語を冠するこの椿は茶花として象徴的な花です。素直で可憐な姿が茶人に好まれて、茶席の冬から春にかけての花として親しまれています。
茶席では椿は蕾を入れますが、まだ咲き初めぬ小さな蕾から自然の広がり、いのちの萌芽を感じずにはおれません。
遠州が花入に見立てた仏器に、のびやかな枝ぶりの山茱萸と侘助の蕾を侘助椿、山茱萸(さんしゅゆ)
古銅水瓶(こどうすいびょう) 鎌倉時代 小堀遠州箱
小間の茶席の花。山茱萸の枝のかたちを生かし、水瓶の口元近くに添えの侘助を一輪入れる。古格ある花器と花の絶妙なバランス。古銅水瓶は時代の羽田盆(はねだぼん)の上に置いて。これから一年、「谷松屋戸田商店 季節の茶花」と題して、折々の茶席の花を中心に、茶にまつわるあれこれをお話しすることになりました。はじまりに際して「茶席の花についてどのように思われますか」とたずねられて思い浮かべたのは、次の言葉でした。
「花をぱつんと切って、部屋に持ち込んだ時点で、その花の一生は限られてしまう。だからこそ、あとは思いっきり使いきり、その花の一生、その生命力を十分生かしきる。傲慢にも人間の意図で花のいのちを左右するのだから、そのいのちを使いきるのだ」。
これは私が信頼する花の達人、美の達人である友人の言葉ですが、茶席の花にも通じると思います。
茶花とはその生命力でもって、客をもてなそうとするもの。花は客が茶室に入席して、いちばん最初にショックを与えるものです。目に飛び込んでくる花のかたち、花の息吹。客はそれを受け止め、その花を通して亭主との会話のキャッチボールがはじまります。
たとえば利休が、秀吉が茶を所望して訪ねてきた際に、庭の朝顔の花を全部落として一輪だけ席中に入れた、という逸話があります。これは実話ではなく、もしかしたら作りばなしかもしれません。
しかし、利休の花に対する、美に対する考えを伝えるストーリーとしてはなかなか面白いと私は思っています。
茶のもてなしでは、花だけではなく、床の間の道具も、点前座の道具も、そのときに考え得るもっともふさわしいものを選びます。花も道具も使いきるのですね。
そして亭主は徹底的に自身のわざをかけて人を迎え、メッセージを送ろうとします。それこそが茶の湯というものなのではないでしょうか。