桜花爛漫 桜を守り、伝えるということ 第11回(全12回) 春が来るたび、私たちの目を楽しませ、心癒やしてくれる桜。地域の子どもたちからプロフェッショナルまで、私たちの“宝”を守り、未来に繫げる桜守の物語とともに、とっておきの桜絶景をご紹介いたします。
前回の記事はこちら>> 桜守・笹部新太郎の遺産。知られざる桜狂の絵師たち「江戸期・三熊派の桜画を旅する」
私財を投げ打った桜の保存事業で知られる笹部新太郎氏ですが、美術コレクターとしての審美眼も一級でした。笹部氏が収集した「笹部さくらコレクション」の中核をなす、桜だけを描いた幻の絵師の魅力に迫ります。
「桜守・笹部新太郎の遺産。桜狂の人が残した風景」はこちら>>笹部新太郎
(ささべ・しんたろう)1887~1978年。91年の生涯を日本古来の桜である山桜や里桜の保護・育成に心血を注ぐ一方、桜研究のために、資料、美術工芸品、書画約5000点を収集し、一大桜コレクションを遺す(西宮市寄贈)。水上勉の著書『櫻守』のモデルとして知られる。著作に『櫻男行状』がある。「桜狂の人」に思いを馳せて、笹部新太郎と三熊派(みくまは)
今橋 理子(学習院女子大学教授)
三熊思孝 桜図桜守が遺した桜コレクション
兵庫県西宮市にある白鹿記念酒造博物館。ここに知る人ぞ知る、桜に関する文化財を収集した個人コレクション「西宮市笹部さくらコレクション」(以下「笹部コレクション」と略称)が寄託されている。
笹部新太郎(1887~1978)の名を知る人は、今では多くないだろう。大阪出身の笹部は民間の桜学者である。東京帝大在学中に独学で植物学を学び、生涯にわたり全国の桜木の保全に取り組んだ、文字通りの「桜狂」の人である。
歴史的に彼の名を有名にしたのは、岐阜県の御母衣(みぼろ)ダム建設(1960年)に伴う水没予定地から、樹齢450年を超える2本のエドヒガンザクラを救出し移植した、いわゆる「荘川桜」のエピソードである。
この事跡はのちに、水上勉(1919~2004)の小説『櫻守(さくらもり)』(1968年)の題材になるなど、大きな影響を残した。
そうした一方で、実は笹部が生前に、何と5000点もの桜に関連する美術工芸品や古典籍を、一代で集めたことはほとんど知られていない。これが「笹部コレクション」なのである。この桜コレクションもまた、稀代の桜守が遺した大事な功績なのである。