徳川家康の秘密 第4回(全26回) 東海道で結ばれる出世の道を巡りながら、人間・徳川家康の実像と、意外に知られていない現在の日本人と家康との関係に迫ります。
前回の記事はこちら>> 居城で辿る家康の逆境人生年表
困難を乗り越えて人は強くなる――
絶体絶命の危機を克服した壮絶な人生を振り返ります。
生誕の地 岡崎城
生誕からわずか6歳で人質に出されるまでと、桶狭間の戦いの後、今川家から帰還し、自立した19歳から29歳までをここで過ごす。江戸時代以降「神君出生の城」として神聖視され、本多家、水野家、松平家など家格の高い譜代大名が城主となる。
出世城 浜松城
写真/msks〈PIXTA〉かつての主家・今川氏真を1569(永禄12)年に降伏させ遠江を領有。遠江支配のため、三河から曳馬城に移り、ここを浜松と名づけた。29歳~45歳まで17年間の居城。1572(元亀3)年三方ヶ原の戦いで武田信玄に大敗するも、後、駿河、甲斐、信濃を加えた5か国を領有したことで、家康の出世城と呼ばれる。
2度戻った 駿府城
武田氏を攻め滅ぼした家康は、信長から駿河を与えられる。今川家の人質として8歳から19歳まで、45歳から49歳まで、将軍職を秀忠に譲った大御所時代の66歳からの、幼年、壮年、晩年の3期にわたって過ごす。大御所として天下の実権は握り続けたため、駿府は事実上の首府として繁栄した。
東京の礎を築いた 江戸城
写真/まちゃー〈PIXTA〉1590(天正18)年、小田原征伐により秀吉による関東平定が完了すると、家康は僻地・江戸への国替えを命じられる。当時の江戸は大湿地帯で、利根川の東遷の大事業などを経て開発。現在の日本の三大都市のうち東京と名古屋は、家康により作られたことになり、その功績は計り知れない。
駿府城公園、鷹狩姿の家康像。撮影/本誌・西山 航【岡崎城幼少期】
1542(天文11)年 1歳三河の岡崎城で松平広忠・於大の方の長男として「寅の年、寅の日、寅の刻」に誕生。幼名は竹千代。
東照公産湯の井戸(岡崎城)。撮影/小林廉宜1544(天文13)年 3歳於大の方の兄・水野信元が織田方に寝返ったため、離縁され、生みの母と生き別れ。
於大の方像(大樹寺)。撮影/小林廉宜1547(天文16)年 6歳人質として尾張国・織田信秀のもとに送られる。
【駿府人質時代】
1549(天文18)年 8歳織田・今川の人質交換で駿府の今川義元のもとへ。義元の許可を得て、臨濟寺にて、太原雪斎に学問を学ぶ。天下泰平の礎は、幼時期の雪斎の感化にある。
竹千代君像。(JR静岡駅前)1556(弘治2)年 15歳今川家の家臣・関口氏純の娘・築山殿と結婚。
【岡崎城時代】
1560(永禄3)年 19歳桶狭間の戦いで今川義元が敗死。家康(元信)は、今川軍の一翼を担っていたが、これを機に岡崎に戻る。いったん松平家の菩提寺・大樹寺に入り、岡崎城に誰もいなくなったことを確認したうえで、岡崎城に帰還。「捨て城なら拾おうではないか」。
家康の父・広忠含め松平家8代の墓が並ぶ大樹寺廟所。1563(永禄6)年 22歳3大危機(1)三河一向一揆で家臣団が大分裂。
【浜松城時代】
1570(永禄13/元亀元)年 29歳居城を浜松城に移す。姉川の戦いで、織田信長とともに浅井・朝倉軍に勝利。
1572(元亀3)年 31歳3大危機(2)三方ヶ原の戦いで武田信玄に大敗。
岡崎城の「しかみ像」。撮影/小林廉宜1575(天正3)年 34歳長篠・設楽原の戦いで、信長とともに武田勝頼を破る。
1579(天正7)年 38歳信長の命により、築山殿を殺害、長男・信康を謀反の疑いで切腹させる。
1582(天正10)年 41歳三河・遠江・駿河・甲斐・信濃の5か国を支配する。
3大危機(3)本能寺の変の後、伊賀を通って三河まで帰る決死の「神君伊賀越え」。
1584(天正12)年 43歳小牧・長久手の戦いで羽柴秀吉軍に勝利。
【駿府城】
1586(天正14)年 45歳居城を駿府に移す。
【江戸城時代】
1590(天正18)年 49歳秀吉の命で、本拠地を放棄し、関東の荒れ地、江戸に移封。
1600(慶長5)年 59歳関ヶ原の戦いで石田三成軍に勝利し、実質的な天下人となる。
1603(慶長8)年 62歳征夷大将軍に就任。江戸幕府を開く。
【駿府城時代】
1607(慶長12)年 66歳駿府城に入り大御所政治。
1610(慶長15)年 69歳名古屋城の普請を開始。
1614(慶長19)年 73歳方広寺鐘銘事件。大坂冬の陣。
1615(慶長20/元和元)年 74歳大坂夏の陣。豊臣氏を滅亡させる。名実ともに天下人となる。
1616(元和2)年 75歳駿府城で没。遺命により駿河の久能山に埋葬される。
1617(元和3)年東照大権現となる。
家康の墓・神廟(久能山東照宮)。写真/本誌・西山 航 撮影/本誌・西山 航 取材・文/清水千佳子
『家庭画報』2023年5月号掲載。
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