日本の国づくり、ものづくりの原点「愛知・名古屋が、天下を取る理由」
43年間にわたり、名古屋のある愛知県は製造品出荷額連続1位の座を守り続けていることをご存じでしょうか。その理由を、名古屋を愛してやまず、自他ともに認める“名古屋アンバサダー”であるお二人に伺いました。
諸大名への威信を保つために名古屋城築城を命じた家康。戦略に長けていた家康の名言でグレンさんは「不自由を常と思えば不足なし」。長屋さんは「堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え」が好きだという。Chris Glennさん(クリス・グレン)オーストラリア・アデレード市生まれ。「ZIP-FM」で番組を担当するほか、ナレーター、翻訳者、ライターとしても活躍中。戦国史研究、城巡りが趣味で、全国約550か所の城を訪ねた。名古屋城へは850回以上訪れている。長屋良行さん(ながや・よしゆき)作家。広告代理店「三晃社」勤務。北海道旭川市生まれ。愛知県や名古屋市の武将観光にかかわるプロモーションを担当。『名古屋の言い分』、『家康の10大危機』、『歴史物語を歩く』(ゆいぽおと)など著書多数。名古屋城を築城する際に、全国からさまざまな職業の人が集まった。「それがきっかけとなり、江戸時代に名古屋城下で名古屋の伝統工芸品をはじめとして発展したものが多くあります。それが、名古屋のものづくりの発展へとつながったのではないでしょうか」とグレンさん。立地の素晴らしさが多くの産業誕生に寄与
「名古屋は、本当に住みやすい街といえるでしょう。地理的に、関東や関西、北陸地方にも近く、30分あれば山にも海にも出かけることができます」。そう語るのは、市内のFMラジオ局のDJを務め、名古屋観光文化交流特命大使でもあるクリス・グレンさん。
『名古屋の言い分』(ゆいぽおと刊)の著者・長屋良行さんは、この恵まれた立地と周囲の豊富な資源こそが、名古屋がものづくりで天下を取った大きな理由だといいます。
「名古屋の周囲には、“木”“土”“糸”“水”の4つの豊かな資源があります。この4つの宝物が名古屋を日本一のものづくり王国に進化させました。なかでも、木の資源がもたらした功績は大きいといえます。
これは徳川家康のおかげ。初代尾張藩主の徳川義直と春姫が結婚する際、春姫の化粧料が「一日一両」かかると聞いた家康が婚礼祝いに、義直へ尾張藩の領地に加えて、木曽の山林と木曽川を贈ったのです。当時、木曽は日本一の山林地域でした。やがて、この山林は、大きなものでは、城、飛行機、鉄道車両、自動車、からくり山車に。小さなものでは、楽器、時計、仏壇、凧、扇子、箪笥などに生かされ、産業の成長を後押ししたのです。
ここで発展した技術をもとに、現在ではロケットや飛行機の一部、新幹線も名古屋圏で製造されています」。
長屋良行著『名古屋の言い分』より中心は中部山岳地帯の滋養を受けた肥沃な「濃尾平野」。西には3つの大河が交わる「木曽三川」。木曽川の上流に日本一の木材産地「木曽山脈」。三河湾、知多半島沿岸には広大な「木綿畑」があった。点線は約500万年前にあった東海湖。よい土をもたらし周囲に焼き物の一大産地を形成した。
さらに、長屋さんは名古屋を象徴する産業の一つである製陶業も、地の利からくるものだと教えてくれました。
「約500万年前にあった東海湖が河川から流れてきた粘土を堆積し、周辺に瀬戸焼、美濃焼、常滑焼、萬古焼、三州瓦が生まれました。その系譜を受け継ぐノリタケ、TOTO、日本ガイシ、INAX、日本特殊陶業などが日本を代表する世界的なセラミックス企業へと成長を遂げました」。
企業の発展を支え、日本一へ導く三河人気質
そして、その自然の恵みはもちろん、名古屋人気質があってこそ大きな産業が発展したと、二人は声を揃えていいます。
「名古屋人気質は、三河人気質といってよいと思います。大きくは我慢強いといった性質です。これは、親兄弟であっても殺生をやむなしとした戦国時代の後、平和な時代を望んだ家康が儒教をもとに、“仁・義・礼”が大切であることを人々に説いた結果でしょう。
名古屋は実は農業も盛んなため、一致団結する気質もありました。こういった、三河人の我慢強さ、団結力はトヨタ自動車などの社風に感じます。最後まで我慢して、誰よりも長生きしたからこそ天下を取れた家康のように、粘り強く続ける力を持つ企業が多いのではないでしょうか」と長屋さん。
「都道府県別製造品出荷額」ダントツの愛知県1位の愛知県は47兆9244億円。1県で全国の14パーセントを占めている。繊維、鉄鋼、自動車など24業種中11業種(左)で第1位を取得。家康の戦略について、侍文化に造詣の深いグレンさんはこう分析します。
「私がサムライに興味を引かれたのは、日本のサムライは戦うだけではなく文武両道だと感じたからです。
家康もその一人で、非常に忍耐強く賢い人でした。武田信玄などの敵であっても尊敬し、彼らから学び、自身の戦略に生かすという一面がありました。スキルの高い人を周囲に集め、適材適所で人材を生かす能力に秀でていました。また、やっとの思いで手に入れた泰平の世を長く維持するために御三家を設けたことも知られています」。
こういった家康流の戦略は、現代の企業の発展にも役立っているのかもしれません。
「製品別出荷額に占める都道府県の割合」どの分野も愛知がトップ出典:経済産業省(2020 年工業統計)長屋良行著『名古屋の言い分』より最後に長屋さんは、「図書館で調べたところ、江戸大名の約7割が愛知出身者だったことが判明。江戸大名は、現在の日本の組織や体制、文化、日本人気質を作った人たちです。そう考えると、全国に名古屋人気質や文化は息づいていることになります。名古屋を知ることは日本の本質を知ることではないでしょうか」。
名古屋の東側には、今でも歴史が薫る武家屋敷が残る。