文=藤原正彦(数学者・作家)
年齢が進むということは未来が狭まるということだ。同時に過去は広がる。思い出が多くなるということだ。狭くなる未来ばかりを考えていては気がふさぐ。思い出という、他の誰のものでもない、世界でただ一人、自分だけの宝物に生きるのだ。
私は自分を育ててくれた歌を毎日歌う。子どもの頃の歌を歌い、幼友達や故郷を思い出す。日本の歌は抒情に溢れている。忘れていた淡い恋心や、つらかった恋を思い起こさせてくれる歌もある。亡き父や母を偲ばせてくれる歌もある。
懐かしい歌を大声で歌うと、涙が、そしてなぜか明日への力が湧いてくる。
『家庭画報』2022年6月号掲載。
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