「赤坂」の魅力をたずねて 第3回(全9回) 壮麗な迎賓館赤坂離宮、緑に囲まれた神社仏閣などの歴史的建造物と、ビジネス街や賑わいを見せる繁華街が同居し、一流ホテルが建ち並ぶなか路地裏に入ると個性的な飲食店が現れる。赤坂という街は、時間により、場所により、さまざまな表情を見せてくれます。港区赤坂・元赤坂を中心に、周辺エリアも含めてこの街が持つ多面的な魅力をご紹介します。
前回の記事はこちら>> 街歩きがもっと楽しくなる、赤坂今昔物語
繁華街からひと筋入ると、入り組んだ路地に急な坂道、至るところで目にする寺社や公園の木々の緑……。赤坂は都心にありながら、散歩が楽しい街です。この地が歩んだ歴史とともに、街歩きがよりいっそう楽しくなる赤坂トリビア(雑学)を集めました。
【あ】赤坂の地名の由来は?
町内に坂が多い赤坂ですが、赤坂という坂は現在ありません。
このあたりに赤土が多かったからなど、地名の由来には諸説ありますが、最も有力な説は茜草が群生する場所であったことから茜坂という坂の名がつき、転じて赤坂という地名になったというもの。
やがて紀州徳川家の中屋敷ができると、坂の名前は紀伊国坂となり、赤坂は地名として残りました。
【か】勝 海舟と坂本龍馬が出会った地
赤坂を愛した偉人といえば、勝 海舟。20代から赤坂に住み、幕末の動乱を経て、49歳からは当時の氷川町10番地(現赤坂6-6-14)に邸宅を構え、晩年まで過ごしました。弟子・坂本龍馬との出会いも赤坂だったとか。
2016年、勝 海舟の邸宅跡地には、地元の有志により凜々しいふたりの師弟像が造られました。
【さ】坂道はいったいいくつある?
赤坂見附の繁華街のあたりは平地ですが、その周辺には数多くの坂があります。
その数は主なものだけで19。赤坂氷川神社周辺の本氷川坂、氷川坂、路面が悪く牛が車を引くのに苦しんだという牛鳴(うしなき)坂、あまりの急坂のため車賃を銀三分増した三分(さんぷん)坂など。
各坂には名前の由来を説明した木製の標識が立っています。
【か】かつて溜池は大きな池だった
「江戸切絵図」(1849~1862年刊)/国立国会図書館デジタルコレクション現在の溜池交差点のあたりから赤坂見附のあたりまで、江戸時代には大きな人工池がありました。
琵琶湖から鯉や鮒を取り寄せて放ち、蓮を植えてその花を観賞するなど、上野の不忍池と並ぶ観光名所として有名になりました。
池畔には風景を楽しむ人向けの茶屋が並び始め、これが赤坂の料亭街の始まりといわれています。
【す】素晴らしい山車が復活した氷川祭
江戸時代の赤坂氷川神社の祭礼は、宮神輿2基と華やかな山車13本が巡行する大祭でした。
近代に規模が縮小しますが、2016年に山車と宮神輿が復活! 毎年9月15日の例大祭を中心に三日間巡行するほか、国際医療福祉大学(東京赤坂キャンパス)で山車1本が常設展示されています。
【き】旧武家屋敷が新しい商業施設に
武家屋敷が並んだ江戸時代の赤坂。その跡地には、現代の赤坂を象徴する施設が建っています。
例えば安芸藩松平家中屋敷跡には「TBS・赤坂サカス広場」、萩藩毛利家下屋敷跡には「東京ミッドタウン」、そして川越藩松平家中屋敷跡には「サントリーホール」が建ち、訪れる人々を迎えています。
イラスト/佐々木 公〈サニーサイド〉
『家庭画報』2019年11月号掲載。
この記事の情報は、掲載号の発売当時のものです。