デジタル化、グローバル化の時代へ「平成遺産」 第6回(全7回) アナログからデジタルへ、ハードからソフトへ──21世紀の幕開けと歩調を合わせるかのように、デジタル化の波がグローバルな潮流として押し寄せ、私たちの生活を根底から一変させていきました。スマートフォン、GAFA、インターネット、人工知能(AI)、IoT(モノのインターネット)......暮らしの隅々までデジタルが入り込み、決して手放せないものになりました。モノの豊かさを背景とする昭和30年代の変革を「生活革命」の時代と呼ぶならば、平成は情報技術の革新が続いた「デジタル革命」の時代。平成時代は、デジタルによる生活のソフトウェア化が、豊かさと結びついた時代でした。
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平成の世になってバブル経済が崩壊。その後、デジタル革命、震災などさまざまな出来事が起きました。新しく生み出された時代の象徴を挙げながら、約30年の平成という時代を振り返ります。
平成25年新開場柿葺落興行の幕を開けた当時の歌舞伎座。老朽化により平成22年に閉場した昭和26年竣工吉田五十八設計の4代目の姿をほぼ踏襲。撮影/本誌・鈴木一彦街の記憶が確かに継承された「5代目 歌舞伎座」
平成25年春、新開場となった東京・東銀座の5代目歌舞伎座。先代とそっくりな外観に、建物がそのまま保存されたのだと思っている人も少なくないようです。が、この5代目は、紛れもない新築で、見上げれば後方の29階の巨大タワーと接続していることがわかります。
都心の一等地にあって、経済効率を優先すれば、現代的な箱形建築の中に収められてもおかしくない劇場が、昭和26年築、昭和の巨匠、吉田五十八設計の4代目の姿をなぜ、かくも忠実に踏襲したのか。設計を手がけた建築家・隈 研吾さんに話を聞きました。
「まず私が吉田五十八先生を尊敬していたことがあるが、それ以上に、歌舞伎座は、60年にわたって、近代日本と並走してきた建物。人々の思いや記憶は、この4代目とともにある。東京のシンボルゆえ外観は変えてはいけないと思った。後年増築で削られた部分で、竣工当時にはあった広場を復活させるなど、街に開かれた芝居小屋本来のあり方に近づけたと思う。記憶が断ち切られることなく、建物が街につながったことが何よりうれしい」
5代目歌舞伎座は、「歌舞伎の殿堂」の記憶を未来へ継承すると同時に、法整備が立ち遅れる日本の景観保全に一石を投じています。
●建築家・隈 研吾さんの言葉
「建築家として、先代を踏襲することに抵抗がなかったといえば、噓になる。しかし、近代建築では使わない赤や金といった色彩や華美な装飾を使ってみて初めて面白さに気づき、また、日本文化の“型”の力を思い知らされた。今では吉田五十八先生にお稽古をつけていただいたと思っています。建築家は絶えず新しいことをやらねばいけないという意識に縛られているが、必ずしもそうではないのではないか」。
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本誌が考える【平成遺産】とは、平成時代に生み出されたもの、もしくは平成時代に広く一般に親しまれたもので、次世代へ継承したいモノ、コト、場所を指します。
『家庭画報』2020年8月号掲載。
この記事の情報は、掲載号の発売当時のものです。