本当の豊かさ宿る「昭和遺産」 第12回(全14回) 世の中は、デジタル化、スピード化が急速に進み、私たちの暮らしはますます便利で快適なものになりました。しかし、はたして私たちは幸せを手にすることができたといえるのでしょうか。私たちの暮らしはどこかで、大切なものを置き忘れてしまっていないでしょうか。義理人情に厚く、おせっかいで、濃密な人間関係に支えられた昭和という時代。どこか不器用でアナログな“昭和”を見つめることで、合理性一辺倒ではない、暮らしの豊かさを再発見していきます。
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庶民の極楽浄土「あ〜極楽、極楽」
明神湯のペンキ絵を7時間で描き直したペンキ絵師・丸山清人さん。この道60年の大ベテラン。「広く見えるよう明るく描くことがポイント」という。銭湯の人情に支えられて
文・ヤマザキマリ (漫画家・随筆家)幼い頃に暮らしていた家のそばに、何十年も前から続いているという古い銭湯があった。音楽家の母は仕事が休みの午後に、わたしと妹をその銭湯へ連れていく。
夫を早くに亡くし、女手一つで娘ふたりを育てる母に、銭湯の経営主であるおばあさんは気を使って、番台の縁に母が置く入浴料を受け取らないこともあったし、お風呂上がりには、映画の公開告知ポスターが貼られた壁の隅に置かれた小さな冷蔵庫からフルーツ牛乳を取り出し、黙って私たち姉妹に差し出すこともあった。
母が演奏会などで留守のときは、我々姉妹だけでこの銭湯を利用することもあったが、そんなときは大抵おばあさんの孫娘が私たちと一緒に入浴をしてくれた。人情が美徳だった昭和という時代、わたしは銭湯に支えられながら生きていた。
明神湯(東京都大田区)
東京都大田区南雪谷5-14-7 TEL:03-3729-2526
東京型銭湯の典型、宮造り様式の外観とペンキ絵背景画が魅力の明神湯。昭和32年創業。現在2代目夫妻が、深い愛情をもって銭湯建築を守っている。ヤマザキマリさん原作の映画『テルマエ・ロマエⅡ』の完成報告会見が開かれた。思うに、人々が銭湯に集うのはお湯の効果だけを求めていたからではない。日本と同じように銭湯文化が発達していた古代ローマでもそうだったけれど、銭湯は日々を生きる自分たちを労い、明日を生きる元気と勇気をチャージするための、大切な場所だった。
銭湯は、ともすれば社会生活で見失いがちな自分たちの本質と、命のありがたみを気付かせてくれる、都市のオアシスなのである。
新潮流、人気の「デザイナーズ銭湯」
「私が目指すのは、ただ現代風なのではなく、『懐かしくて、新しい』こと」と話すのは、銭湯好きが高じ、リニューアルを数多く手がける一級建築士の今井健太郎さん。その物件は『デザイナーズ銭湯』と呼ばれ話題を集めています。「木造建築の開放的な構造、格天井、タイルのペンキ絵などは生かしつつ、機能や使い勝手を改善しています。銭湯は、今も昔も日常にいちばん近いリラクセーション空間だと思います」。写真は、今井さんが手がけた「松の湯」。
東京都八王子市小門町20 TEL:042(622)5356 写真/鈴木賢一写真事務所「#昭和遺産」の記事一覧 撮影/齋藤幹朗
本誌が考える【昭和遺産】とは、昭和時代に生み出されたもの、もしくは昭和時代に広く一般に親しまれたもので、次世代へ継承したいモノ、コト、場所を指します。
『家庭画報』2020年8月号掲載。
この記事の情報は、掲載号の発売当時のものです。