〔連載〕京都のいろ 京都では1年を通してさまざまな行事が行われ、街のいたるところで四季折々の風物詩に出合えます。これらの美しい「日本の色」は、京都、ひいては日本の文化に欠かせないものです。京都に生まれ育ち、染織を行う吉岡更紗さんが、“色”を通して京都の四季の暮らしを見つめます。
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端午の節句の起源「薬猟」を彩った色
文・吉岡更紗4月25日から3回目の緊急事態宣言が発出され、5月9日(日)まで開催予定だった細見美術館特別展「日本の色-吉岡幸雄の仕事と蒐集-」も残念ながら休館となりました。ゴールデンウイークをどのように過ごすか楽しみにされていた方も多いと思います。彩りを失ってしまったような世の中になりましたが、京都の自然の風景は、変わらずに鮮やかな色彩を保っています。
例年であるとこの頃に、宇治の平等院に咲く藤の花や、蹴上にある浄水場の躑躅(つつじ)の花を見に行くことが多いのですが、桜に続いて今年も花が咲くのが早く、4月末には満開を迎えていました。お散歩をしていて見つけた桐の花も淡い紫の花をつけていました。
写真/紫紅社そして、京都の西北にある大田神社では杜若(かきつばた)の花が見頃を迎えています。大田神社は上賀茂神社の東に位置する末社の一つです。上賀茂神社の神山からの清流が、そこにある沢に流れ込み、杜若の群生が広がっています。濃い葉の緑に、やや赤みのある紫の花の組み合わせが、目にも美しい光景です。
この杜若について、『万葉集』には「杜若衣(きぬ)に摺りつけますらおのきそい猟(かり)する月は来にけり」(大伴家持)など、美しく咲く花びらを摘み取って布に摺り込んでいたことがわかる歌が、いくつか残されています。
かつて、旧暦の5月5日は、男性が薬猟(くすりがり)に出かける日で、鹿の若角や、菖蒲や蓬(よもぎ)などの薬草を取りにいった日とされています。疫病のはやりやすい梅雨や、暑い夏を元気に過ごすために、その日採集した薬を詰めて「薬玉(くすだま)」という飾りを作り、9月9日の重陽の節句まで飾るという風習がありました。
写真/小林庸浩江戸時代以降、武家の風習と共に5月5日は端午の節句として五月人形を飾るようになりましたが、元々は「薬日(くすりび)」ともいわれ、男性は鹿狩り、女性は薬草を採取し、邪気を払い長寿への願いを込めた日だったのです。
人の身体を守る薬を猟る、という重要な役割をする男性が、杜若の花の色を摺りつけた衣装で挑む姿は美しいものだったことでしょう。しかし、このような花摺りと呼ばれる染め方は数日しか色が持たず、先ほどの歌のような特別な行事のとき、その日のみに使われていたようです。
しっかりと紫の色を定着させるには、長い時間をかけて紫草の根を使って染めるのが最適です。紫草の根を叩いて細かくしてから、お湯の中で揉み出していくと次第に紫の色がお湯にうつっていきます。そこに布や糸を浸し、椿の灰汁(あく)で色を定着させるという方法が、美しい紫を生み出しています。また古来、紫は大変高貴な色とされ、位の高い人しか身につけられなかったといわれています。
写真/紫紅社紫草は根が紫色をしているのですが、今の季節に、小さくとても可愛らしい白い花をつけます。自然の草木花を眺めていると、その美しい色そのものを花や葉が蓄えていると思ってしまうのですが、色は実は見えないところに潜んでいるのだと考えさせられます。
吉岡更紗/Sarasa Yoshioka
「染司よしおか」六代目/染織家
アパレルデザイン会社勤務を経て、愛媛県西予市野村町シルク博物館にて染織にまつわる技術を学ぶ。2008年生家である「染司よしおか」に戻り、製作を行っている。
染司よしおかは京都で江戸時代より200年以上続く染屋で、絹、麻、木綿など天然の素材を、紫根、紅花、茜、刈安、団栗など、すべて自然界に存在するもので染めを行なっている。奈良東大寺二月堂修二会、薬師寺花会式、石清水八幡宮石清水祭など、古社寺の行事に関わり、国宝の復元なども手がける。
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更紗さんのお父様であり、染司よしおかの五代目である吉岡幸雄さん。2019年に急逝された吉岡さんの遺作ともいうべき1冊です。豊富に図版を掲載し、色の教養を知り、色の文化を眼で楽しめます。歴史の表舞台で多彩な色を纏った男達の色彩を軸に、源氏物語から戦国武将の衣裳、祇園祭から世界の染色史まで、時代と空間を超え、魅力的な色の歴史、文化を語ります。
協力/紫紅社