パンデミックの時代が求める音楽 ワルツの熱情 第6回(全12回) 明と暗が表裏一体となったワルツの底知れない魅力を訪ねます。
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「美しく青きドナウ」男声合唱・ピアノ伴奏譜の表紙(ゲルネルト作詞)。AKG/PPS 通信社●前回の記事はこちらワルツの魅力を訪ねて「ヨハン・シュトラウス記念館」へ。子孫が語る、ワルツの王の素顔この名曲に込められた意味の奥は深く、ヨハン・シュトラウス2世はウィーン男声合唱団からの依頼を受けて作曲。それに警察官であり合唱団員でもあったヨーゼフ・ヴァイルが歌詞をつけたものです。当初は曲にも歌詞にも「美しき青きドナウ」の名称はなく、誰がつけたのかもはっきりしていないのです。最も世に知られているのはその23年後に改訂されたフランツ・フォン・ゲルネルト作詞のもの。
世にはコレラが流行り、ケーニッヒグレーツの戦いではオーストリア軍がみじめな敗北を迎え、世の中はグレー一色という時に、ヴァイルは勇気をもって当時の政治を批判し、その世を揶揄する気もあって、面白い歌詞をつけました。
「喜びをもっていこうよ、ウィーンのみんな」「え、なんで?」「周りを見てみて」「だからなぜ」「かすかな光が見えるよ」「そんなもの見えないよ」とバスとテノールが、掛け合い問答のようになって続き、後半には世の苦しい人々は、お金がないのに国に税金をもっていかれるし、政治家や評論家がワルツを踊れば、台無しにしてしまう(よけい政治が悪くなる)とからかいつつ、「腹立たしいことばかりだが、このような世の中だから踊るしかない、踊ろうよ」で最後が締めくくられます。
エドゥアルト・シュトラウスさんは「これはワルツを借りた、世の中への抗議でもあり、痛烈な皮肉なのです。ドナウは青く見えないから、あえて青いとした、と私は見ています。ワルツのこのリズムにだって、その世の中の二面性は現れているのですよ」と強調しています。
1867年2月15日、「ディアナザール」で先に男声合唱で初演された同曲のピアノ楽譜版。©Familienarchic Dr.Eduard Straussこの曲のオーケストラ版が世界的に広まることを確信していたのは妻のイエテイでした。
世情を吸収して「革命マーチ」や「攻撃ポルカ」など、反発をうまく包み、流れるような美しいワルツや楽しいポルカに仕立てたシュトラウス2世。作品は次々とヒットを飛ばし、押しも押されぬこの時代の大スターとなったのです。
妻たちと結婚期間年数。右より最初の妻、ヘンリエッテ・フォン・トゥレフツ(愛称イエティ・1862-78年)。2番目の妻、アンジェリカ・ディットリヒ(1878-82年)。写真左2枚は3番目の妻アデーレ・ドイチュ(1887-99年)。アデーレとの結婚のため、ザクセンに赴き改宗した。©Familienarchiv Dr.Eduard Strauss 撮影/シモン・クッパーシュミート ウィーン取材コーディネート・取材・文/武田倫子 編集協力/三宅 暁(編輯舎)
『家庭画報』2022年1月号掲載。
この記事の情報は、掲載号の発売当時のものです。