第九」をもっと楽しむ 最終回(全5回) 年末が近づくと聴こえてくるベートーヴェンの「第九」。欧米では歴史的な日に演奏されるなど、世界においても特別な楽曲です。このような時だからこそ、第九のメッセージがますます心に響いてきます。
前回の記事はこちら>> 「第九」に隠されたベートーヴェンの意図とは。シラーの詩をじっくり読んでみる
若きベートーヴェンが熱狂し、いつか曲にしたいと願ったシラーの詩「歓喜に寄す」。詩の内容とともに、当時の状況やベートーヴェンのこだわりを紐解いていきます。
平野 昭さん(ひらの・あきら)1949年神奈川県生まれ。音楽研究家。東京藝術大学等で西洋音楽史を講じ、べートーヴェン作品のコンサート・講演・研究を行う「日本ベートーヴェンクライス」副代表も務める。著書に『ベートーヴェン』、『ベートーヴェン 革新の舞台裏』等。写真/本誌・武蔵俊介
歓喜の歌
(日本語訳 平野 昭)
おお友たちよ、これらの調べではない!
さあ、もっと心地よくて、
喜びに満ちた歌をうたい始めよう。(この3行のみべートーヴェンの言葉)
歓喜よ、美しき神々の閃光よ、
エリジオンの乙女よ、
我ら、その炎に酔いしれて
天上なるものよ、あなたの神殿に足を踏み入れん。
あなたの不思議な力が再び結び合わせる、※
時流が厳しく分け隔てていたものを。※
すべての人が兄弟となる、※
あなたの優しい翼が憩うところで。
大いなる成功に恵まれ、
一人の友の真の友と成り得た者、
優しい妻を得た者は、
歓喜の声に加わるがよい!
そうだ、ただ一人であっても
この地上に我がものと呼べる人がいる者もだ!
しかし、それを成し得なかった者は、
涙してそっとこの集いから立ち去るがよい。
生きとし生けるこの世のすべてのもの皆
自然の乳房から歓喜を飲み、
善なる者すべて、そして、悪なる者すべてが
薔薇の香りただよう花の径を辿る。
歓喜は我らに口づけとぶどう酒を与え、
そして、死の試練を克服した友を授けた。
快楽は虫けらにすら与えられた、
するとケルビムが、神の御前に現れた。
楽しげに、神の太陽たちが
壮麗な天空を飛翔するように、
走れ、兄弟たちよ、お前たちの道を、
歓び勇んで勝利に向かう英雄のように!
抱き合え、諸人よ!
この口づけを全世界に!
兄弟よ、星空の彼方には
愛しき父が必ずや住み給う。
ひれ伏すのか、諸人よ?
創造主の居ますことを感じたか、世界よ?
星空の彼方に創造主を求めよ!
星々の彼方に必ずや創造主は住み給う。
大勢の仲間とともに歌う詩に熱狂したベートーヴェン。第九で伝えたかったことは
1785年、当時25歳のシラーが書いた詩「歓喜に寄す」は、友人がつけた曲とともに同人誌で発表され、大勢の仲間が集まる場でよく歌われるようになりました。ベートーヴェンがこの詩に出会ったのは学生時代のこと。折しもボン大学入学直後の1789年7月にフランス革命が勃発。民衆の力による絶対王政打倒をテーマにした講演にベートーヴェンも熱狂し、生涯にわたって共和主義と自由主義を理想として掲げるようになります。
それから三十余年後、1822年夏より本格的に第九の作曲を始めますが(〜1824年2月)、1823年夏に「終楽章をシラーの詩を使った合唱曲にしよう」と着想。自分が伝えたいことをより強調するために、本来9番までのところ4番前半までを引用し、順番入れ替えや語句の繰り返しのほか、冒頭3行にベートーヴェン自身の言葉を加えています。
この詩で注目したいのは※「あなたの不思議な力が再び結び合わせる、時流が厳しく分け隔てていたものを」(8〜9行目)。
ここではさまざまな分断が暗示されていますが、貴族よりも芸術家のほうが尊敬されるべきだとゲーテに語るほど、ベートーヴェンは身分制度に敏感でした。また「あなたの」とは、キリスト教的な神ではなく、ギリシア神話の神々が示唆されています。なぜならエリジオンとはその神々が住む地であり、ケルビムは神話に登場する4つの翼と顔を持つ智天使だから。なお、神々の光が歓喜そのものとも考えられます。そして※「すべての人が兄弟となる」(10行目)には、共和精神が反映されています。
第九はEUの国歌でもあり、ベルリンの壁崩壊時など人々が結集する場で歌われてきました。ベートーヴェンは詩の3分の1ほどしか使っていませんが、その趣旨を十分全うしているのではないでしょうか。
撮影/本誌・大見謝星斗(佐渡さん譜面) 取材・文/菅野恵理子 編集協力/三宅 暁
『家庭画報』2022年12月号掲載。
この記事の情報は、掲載号の発売当時のものです。