写真/Getty Images数々の名曲を世に残したヴェルディが自ら「最高傑作」と謳った「憩いの家」(Casa Verdi)。彼が私財を投じてミラノに建設した、音楽家のための老人ホームだ。現在も多くの元演奏家たちが住む。ヴェルディはこの敷地内の礼拝堂に妻とともに眠っている。
“私は完全を求め、いつも失敗してきた。だからもう一度挑戦する必要があった”(ジュゼッペ・ヴェルディ)
ヴェルディが「ファルスタッフ」を制作した際に語った言葉といわれている。イタリアに生まれ、“オペラの変革者”として音楽界に計り知れない影響を与えた作曲家、ジュゼッペ・ヴェルディ。
彼の構築的でドラマティックな音楽は、聴衆はもちろん、世界に名だたる指揮者、歌手、演出家をも魅了し続けています。アニバーサリーイヤーを祝し、不世出の奇才の深い魅力に迫ります。
「憩いの家」には共有スペースとして、音楽練習室や礼拝堂、食堂などがある。こちらはアンティークピアノが置かれたサロン。奥のイーゼルにかけられているのはヴェルディの肖像画。写真/amanaimagesヴェルディ人生年譜
“激動の人生”から珠玉の旋律は生まれた
1813 10月10日 北イタリアのロンコレ村で、宿屋の長男として生まれる。
1823 ブッセートの学校に学ぶ。
1836 ブッセートの市立音楽学校の教師になり、自分を援助してくれたバレッツィの長女
マルゲリータと結婚。
1837 長女ヴィルジーニア誕生。
1838 長男イチリオ誕生。ヴィルジーニア死去。
1839 オペラ作曲家を目指してミラノへ。
1作目のオペラ『オベルト』をスカラ座で初演。後に2番目の妻となる歌手ジュゼッピーナ・ストレッポーニと出会う。長男イチリオ死去。
1840 妻マルゲリータ死去。
1842
3作目のオペラ『ナブッコ』をスカラ座で初演し大成功。ヒロインを歌ったジュゼッピーナと接近。
1844 ヴェネツィアのフェニーチェ劇場で『エルナーニ』初演。農場経営を開始。
1847 ジュゼッピーナと同棲。
1851 フェニーチェ劇場で
『リゴレット』初演。ジュゼッピーナとサンターガタへ移住。
1853 ローマのアポロ劇場で
『イル・トロヴァトーレ』、フェニーチェ劇場で
『椿姫』初演。
1857 フェニーチェ劇場で
『シモン・ボッカネグラ』初演。
1859 ローマのアポロ劇場で
『仮面舞踏会』初演。ジュゼッピーナと結婚。
1861 イタリアが統一。国会議員に。
1862 サンクトペテルブルクの帝室劇場で
『運命の力』初演。
1867 パリ・オペラ座で
『ドン・カルロス』初演。後にイタリア語版『ドン・カルロ』も編まれる。従妹のフィロメーナを養女に迎え、「マリア」と名づけて後継者とする。
1871 カイロのオペラ座で
『アイーダ』初演。ソプラノ歌手のテレーザ・ストルツと交際。
1874 ミラノのサン・マルコ教会で
『レクイエム』初演。
1887 スカラ座で
『オテロ』初演。
1893 スカラ座で
『ファルスタッフ』初演。
1899 私財を投じ
音楽家のための「憩いの家」を建設。ただし入居は彼の死後と決められた。
1901 1月27日、ミラノの
グランド・ホテルにて死去。1か月後に国葬が執り行われ、遺体はヴェルディの希望どおり、ジュゼッピーナとともに「憩いの家」の礼拝堂に埋葬された。
取材・文/加藤浩子 編集協力/三宅 暁(編輯舎) 取材協力/日本ヴェルディ協会 市浦純子
『家庭画報』2023年1月号掲載。
この記事の情報は、掲載号の発売当時のものです。