尾張徳川家14代慶勝(よしかつ)公の正室となった二本松藩主・丹羽長富公の二女・貞徳院矩姫(ていとくいんかねひめ/1831~1902年)が所用していた品。いずれも30センチ前後の大きさ。姫君のお好みが反映された美しき品々
尾張徳川家は、家康公の九男・義直(よしなお)公を祖とする大名家で、義直公は甲斐や尾張清洲を経て、慶長15年に名古屋に移りました。当時、尾張の中心は清洲でしたが、町を移築し、豊臣家ゆかりの加藤清正や福島正則などの諸大名に家康が命じて名古屋城を造らせました。
そして徳川御三家中、最高の61万9500石と将軍家に次ぐ大大名となりました。
17歳で11代斉温(なりはる)公の継室となり、21歳の若さで亡くなった俊恭院福君(しゅんきょういんさちぎみ/1820~40年)の雛道具の鏡台と払箱。道具は80品残されている。櫛は約2センチの長さ。同じく俊恭院福君所用の雛道具のうち、耳盥(みみだらい)、渡金箱(わたしかなばこ)と歯黒箱。尾張が栄華を誇ったのは7代藩主・宗春(むねはる)公のときといわれ、当時の8代将軍吉宗公が質素倹約を打ち出したのに対し、宗春公は豪奢な生活を送り、隠居させられてしまいます。
19代義親の夫人米子(よねこ/1892~1980年)、20代義知(よしとも)の夫人正子(1913~1998年)、そして21代義宣(よしのぶ)の夫人三千子(みちこ/1936年~)の3世代にわたる尾張徳川家の雛段飾り。節句の祝儀としてさまざまなかたがたから贈られた御所人形・毛づくり人形なども加わり、大変豪華だ。撮影/山田時夫確かに派手で華美を好み、批判もされましたが、反面、尾張は芝居の興行を奨励し、芸どころ名古屋の基礎をつくり、他所とは異なる美意識を生み出しました。
その後、養子藩主が続きましたが、その家風は守られ、さらに明治以降、他家に先駆けて尾張徳川家の歴史と文化を伝えるべく、第19代当主の侯爵・徳川義親氏は徳川美術館を開設されました。
徳川美術館 特別展
尾張徳川家の雛まつり
女の子の健やかな成長と幸せを願う雛まつりは、尾張徳川家でも大切な行事の一つでした。婚礼調度の精緻なミニチュアの雛道具や、公家の装束をまとい気品ある顔立ちの有職雛、京の宮廷や公家などに愛された御所人形といった江戸時代から伝わる雛飾り、明治から昭和に至る尾張徳川家3世代の当主夫人たちの豪華な大雛段飾りなどがずらりと並びます。
徳川美術館 本館愛知県名古屋市東区徳川町1017
会期:~2023年4月2日(日)
開館時間:10時~17時(入館は16時30分まで)
休館日:月曜(祝日の場合は翌日)
観覧料:一般1400円
※本特集では、この特別展で展示されない作品も掲載されています。
表示価格はすべて税込みです。 撮影/小林庸浩 取材・文/萬 眞智子
『家庭画報』2023年3月号掲載。
この記事の情報は、掲載号の発売当時のものです。