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桜はなぜ私たちの心を惹きつける? 歴史と文化から紐解く「花見弁当と日本人」

2023.03.27

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季節を映した美味で桜を愛でる
日本人の美意識を象徴する花の宴

特別席&料亭でいただく、テイクアウトで楽しむ 花見弁当で春を味わう 第5回(全12回) 水温む陽気とともに心も浮き立つ春、今年はお花見弁当を目当てに出かけてみてはいかがでしょうか? 京都の特別席で、料理店でいただく洗練の味と、春の集いに持ち寄りたいテイクアウトの美味をご紹介します。前回の記事はこちら>>
満開に咲き誇る淡い薄紅色の桜を愛でながら花見弁当を楽しむひとときは格別なもの。古より日本人は行楽を楽しんできましたが、中でも“お花見”には心浮き立つ特別感があります。桜は、なぜこんなにも私たち日本人の心を惹きつけるのでしょうか。

「桜」は神が宿る木
花見は神へのおもてなし


古来、桜は「田の神が宿る木」と信じられていました。「サクラ」の「サ」は田の神、「クラ」には神座の意味があり、桜の咲き具合で、その年の稲の実りを占いました。


かつて、日本各地には春の野山で飲食をする山遊びや野遊びという風習がありましたが、これは料理や酒で「サ・田の神」をもてなし、豊作を祈る農耕信仰の習わしでした。

花見が始まった奈良時代には、中国伝来の梅が愛でられていました。桜の美しさを観賞するようになったのは平安時代からで、弘仁3(812)年、嵯峨天皇が神泉苑の庭で「花宴之節」を催したことが『日本後紀』に記されています。観桜の宴は宮中定例行事となり、貴族たちは樹下で漢詩や和歌を作ったり、楽を奏したり、舞を舞ったりと、優雅なひとときを楽しみました。

歴史に残る有名な花見といえば、文禄3(1594)年に行われた豊臣秀吉の「吉野の花見」。天下統一を成し遂げた秀吉は、徳川家康や前田利家、伊達政宗らの武将や茶人、連歌師など総勢5000人を連れ、盛大な宴を催しました。酒席や茶席を設け、仮装するなど賑やかな時を過ごしました。遊興として楽しまれた最初の花見でした。

数千本の桜を植樹
吉宗が庶民に花見を奨励


花見弁当と日本人花見弁当と日本人

『江戸むらさき名所源氏御殿山花見』 国立国会図書館所蔵 桜の下で重箱を開く女性が描かれた錦絵。「花見」が大きな楽しみであったことが伝わる。

庶民が花見に親しむようになったのは江戸時代の寛文期(1661年~)。それまでの花見は寺社の境内や野山に咲く大きな一本桜を観賞するものでしたが、八代将軍・徳川吉宗が享保年間(1716年~1736年)に約10年かけて王子の飛鳥山、隅田川堤、御殿山など、江戸の各所に大規模な桜の植樹を行い、花見を奨励したことで、群生する桜が一斉に咲く盛大な花見を楽しめるようになりました。人々は満開桜の華やかさや散り際の美しさに魅了されました。

また、江戸時代は園芸が盛んで、多品種の桜が生み出されました。開花の時期は品種によって異なるので、今の5月初め頃まで花見を楽しむことができました。桜といえば現代ではその多くが染井吉野ですが、誕生したのは江戸末期で、日本各地に広がったのは明治に入ってからのことでした。

時代とともに進化する花見弁当
さまざまな様式の弁当が登場


吉宗が植樹を行った場所は桜の名所となりましたが、江戸の中心からは遠く、人々は弁当持参で出かけるようになりました。花見は、ご近所や仲間が連れだって繰り出す一日がかりの行楽で、人が多く集まるお正月よりも晴れやかな場でした。

花見の前夜は「花の宵」と呼ばれ、家族総出で晴着やごちそうを支度しました。宴の中心にあるのは弁当で、桜の木の下で弁当を広げることは大きな楽しみであり、同時に着物やごちそうなどを“見せて、見られる”気合の入った場でもありました。

花見弁当と日本人花見弁当と日本人

『花見用手提げ型弁当箱』 お辨當箱博物館蔵 外側は木彫り、内側は漆塗り、酒器も入る3段重箱。金箔で桜が描かれるなど、凝ったつくり。

江戸の人々の食への意識は高く、享和元(1801)年に出版された料理本『料理早指南』には、当時の花見弁当の献立が記されています。

その一例が、卵にすりおろした山芋と砂糖を加えてカステラのようにふわふわに焼いたかすてら玉子や鮑のわたを入れたわたかまぼこ、筍の煮物、蒸しカレイ、桜鯛の寿司、甘露梅、きんとんなど。これらは料亭の料理のような豪華なものでしたが、庶民も弁当には卵焼きやかまぼこなどのごちそうを用意しました。弁当箱として主に用いられたのは重箱でした。多種の料理をコンパクトに入れられるうえ、重ねたり並べたりと便利に使えました。

花見弁当と日本人花見弁当と日本人

『東都名所 御殿山花見 品川全図』 国立国会図書館所蔵 御殿山は江戸時代の花見の名所のひとつ。中央には、海を行きかう船を眺めながら、敷物の上で花見をする人の姿が見える。

野外での宴には携帯に便利な提げ手をつけた「提重(さげじゅう)」が用いられました。これは公家や大名の野遊び用に作られた「野弁当」の流れを汲むもので、酒器や重箱、飯椀、汁椀などが収納されています。携帯用としての機能だけでなく宴を楽しむための特別な容器として、季節の意匠が描かれた蒔絵など、美しさを重視したものも多く作られました。お酒を美味しく飲むために燗をする携帯用焜炉(こんろ)「燗銅壺(かんどうこ)」などもありました。

昭和に誕生したのが、茶懐石の流れを汲む「松花堂弁当」です。4つに仕切られた四角い弁当箱は、中に器を入れることで、花見の時期だけでなく四季を通じて使える画期的なものでした。品のある美しさは弁当の格を高め、今も広く親しまれています。

権代美重子/Mieko Gondai
ヒューマン・エデュケーション・サービス代表。JTB協定旅館ホテル連盟講師。国土交通省や官公庁の観光振興アドバイザーを務める。おもてなしを軸とした日本文化を研究。著書に『日本のお弁当文化』(法政大学出版局)。
監修/権代美重子 取材・文/安齋喜美子
『家庭画報』2023年4月号掲載。
この記事の情報は、掲載号の発売当時のものです。
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