「ことばの世界」 “作品は、まったく何もないところから生まれるものではなく、先行する文学作品の影響をさまざまなかたちで受けながら書かれるもの”とは、多くの書き手が口にすること。作家が立ち返る場所としての大切な本、繰り返し読んでしまう再読の書を挙げてもらいます。
穂村 弘さんのインタビュー(前編)はこちら>>> 穂村さんは落ち着いた口調で、ゆっくりと話す。
独自の磁場が働いているのか、穂村さんの周囲では、時間の流れ方も変わってしまうように感じられる。普通、人がしゃべっていることをそのまま文章にしてみると、結構いい加減で、意味が通じないことが多いけれど、穂村さんが話すことばと書くことばは、とても近い。
話すことと書くことが近いのは、ことばについて考えることが日々の前提だからだろう。1990年代のニューウェーブ短歌の牽引者といわれるように、口語体の短歌がその後の世代に及ぼした影響の大きさについては、当事者である若い歌人たちが伝える通りだ。
――選者として多くの歌を読んでいて、どんなことを感じますか。短歌はプロじゃなくてもおもしろいものをつくることはできる。つくり続けられるかどうかは別として、そういうおもしろさはあるよね。最近の投稿歌だと、“大谷翔平の球を大谷翔平が打ってこその大谷翔平(小杉なんぎん)”とか。もちろんそんなこと、物理的には無理だけど、大谷翔平が特別すごいことがよく伝わってくる。あと、おもしろいと思ったのは、“男性は土俵に入ってよい しかし土俵の外に出てはならない(田村囲)”、土俵の女人禁制問題を通じて男女の不均衡さを突くアイロニーの歌。土俵から出られなければ、トイレにも会社にも行けなくて困るなあと。こういう人たちが短歌をつくり慣れているとは思わないけれど、自分の発想を短歌の形式に載せることでユニークな作品になっています。
――穂村さんはどんなときに歌をつくりたいと思うのでしょうか。つくりたいという気持ちは、最初の頃しかなかったと思います。
――そうなんですか。歌に限らないけれど、書き出すと、勝手に書かれるところは結構あって、逆にいうと、主体的には書けなくて、勝手に書かれるときだけが書けるときというか。谷川(俊太郎)さんはインスピレーションは降りてくるんじゃなくて、下から上がってくるっていっていたけど、僕はどういうのがいちばん近いかなあ。頭で考えるよりも言語の出方が早い、通常使うようには頭は使われていない、という感じですね。
――歌をつくるときは意識ではないものが働くのでしょうか。では、選者として講評されるときはもっとロジカルなのですか。講評については蓄積の問題が大きいです。長年短歌をやっている人はみんな、自分のなかに膨大なデータベースがあるので、新しい歌を見て、これはこのパターン、あのパターンと分けていくんです。たとえば道に落ちている手袋の歌はめちゃくちゃ多いんですけど、それって想像できますよね。誰しも手袋が落ちているところに遭遇するし、そうするとドキッとする。なぜドキッとするかといえば、手のかたちをしている、たいてい片っぽだけ……と、すべて短歌にしやすい。たくさん見ていると、そういうことがわかるし、『ぼくの短歌ノート』のようにテーマで並べると、真逆のことがいわれたりしているのもおもしろいです。
――短歌にとってSNSはどう機能しているでしょうか。短いテキストを読み比べたり、投稿できるSNSは、短歌や俳句とは特に相性がよくて、従来の歌壇とは違うフラットな共同体として発達したと思います。それが学生短歌会とリンクしているので、全国の上手な学生は、ほとんど互いのことを知っているし。80年代の若者は、無理をすれば自費出版で本を出すことができたけれど、今はそれができないこともあって、文学フリマで冊子を売ったり。結果的に従来の歌壇と、フラットな共同体が共存というか、住み分けられていると思います。
短歌は歴史が古くて、天皇がクライアントで柿本人麻呂がコピーライター、コピーのお題は「国の繁栄」という見方もできるし、短歌がラブレターだった時代も長くて、自己表現の手段になったのは、近代以降です。その都度、短歌という器にいろいろなものが盛り込まれ、時代ごとにだいぶ違うので、本質があるのかというと、よくわからない。僕らの頃は、若い人のあいだでは恋愛モードが強かったけれど、今は恋愛が歌のテーマではない時代ですね。