短歌、小説や絵本、そしてミュージカルなど舞台の脚本の執筆に加え、イラストを描き、朗読ライブを行う――そんな全方位型表現者である歌人の東 直子さん。
短歌を始めたきっかけについて東さんは、“ちょうど俵万智さんの『サラダ記念日』がブームになっていた頃で、現代短歌が自然に入ってきたんです。俵さんと同じ頃デビューした加藤治郎さんの歌集を偶然手に取る機会があり、私たちが普段使っていることばで表現していいのだと気づいて、自分でもつくってみたいなと思って”と、当時を振り返る。
定期購読していた雑誌の短歌欄へ投稿を始めると、すぐに常連入選者となり、つくる楽しみに没頭していった東さんは、歌の勉強会や同人にも参加。歌壇賞受賞した1996年に第1歌集『春原さんのリコーダー』を刊行する。小説やイラストへと活動を広げていった東さんの話は、短歌をつくる歓びとその実人生への影響、同世代の歌人との出会いなどから始まった。
そうですかきれいでしたかわたくしは小鳥を売ってくらしています
(『春原さんのリコーダー』)ママンあれはぼくの鳥だねママンママンぼくの落とした砂じゃないよね
(『青卵』)遠くから来る自転車をさがしてた 春の陽、瞳、まぶしい、どなた
(『青卵』)好きだった世界をみんな連れてゆくあなたのカヌー燃えるみずうみ
(『青卵』)二人乗りのスクーターで買いにゆく卵・牛乳・封筒・ドレス
(『青卵』)――小説、脚本、イラスト、朗読など東さんの創作は全方位にわたりますが、短歌はどんなきっかけで始められたのですか。もともと話を考えたり、創作することが好きで、大学時代は演劇研究会に所属して、脚本、演出、出演からパンフレットのイラスト描きまですべてやっていました。大学を卒業してわりあいすぐに結婚して、子どもも年子で生まれたので、絵本やファンタジーの情報を得ようと思って『MOE』という雑誌を定期購読していたのですが、この雑誌で短歌の投稿欄が始まったんです。短歌なら、子どもたちが寝ているあいだにつくれるかな、と思ったのが始まりでした。
――投稿を始めてすぐに常連入選者になったそうですね。わりと最初から、歌を取っていただけたので、つくることがどんどんおもしろくなっていきました。慣れない育児のなかでモヤモヤしているときに、ことばを探っていると、自分の心が整理されてゆく感じがして。自分のつくった短歌が雑誌に載ったりすると、胸のつかえがすーっとおりるというか、すごく嬉しかったんです。それまでとは違う社会との接点ができて、自分に対して客観的な視点を持てたことで日常が楽になり、魂が解放されるような歓びもありました。最初は独学でしたが、続けていくなかでもっと勉強したいと思って、姉の知人でもあった歌人の加藤治郎さんに手紙を書いたら、いろいろ歌集を勧めてくださったんです。その頃、加藤さんが若い歌人を集めて開いていた「SUNの会」という勉強会を通じて、穂村弘さんや林あまりさんといった同世代の歌人の方々とお会いできて、加藤さんが所属していた「未来」に、その2年後には「かばん」という短歌の会にも入会しました。
――以前、東さんの朗読ライブを拝見したとき、ことばが自然に湧き上ってくるように見えたのですが、終了後にうかがったら即興ですと、聞いて驚くと同時になるほど、と思いました。ライブはその場の空気をつかみながら表現していて、上手くいっているときは景色が見えてくるんです。そうなると、私はただ、それを実況中継しているような感じになります。
――ちょっと巫女的ですね。見えてきたものをことばに置き換えるのは短歌も同じで、頭に浮かんだイメージをことばに置き換えるとどうなるだろうと考えながらつくっています。だから、どうやってつくったのですか、と聞かれても説明するのは難しいですね。