《馬(絶筆・未完)》1970年 神田日勝記念美術館蔵北海道・十勝 鹿追。絵を描くことで、北の大地に希望の窓を開いた
ナビゲーター・文/林家たい平(落語家)油絵の具の匂いが、昨日まで描いていたごとく気のせいか、強く感じる作品。
それは絵を描くことが好きで好きでたまらない、少年の心のままが感じ取れたからだろう。
ずっとこの独特の匂いの中で絵を描き続けたい。しかし昼間は北の大地の土の匂いの中で働かなければならない。
父とともに開拓で入った十勝の荒涼とした土色一色の世界。神田日勝(にっしょう)にとって、閉塞した暮らしの中で、希望の窓を開けてくれたのが“絵を描くこと”だったのではないだろうか。
その開かれた窓からは、次から次へと新鮮な世界の画壇からの刺激的なシーンが入ってくる。
その空想の中で翼を広げている時の自分と、畑仕事を黙々とこなす自分。果たしてどちらが本当の自分なのか、自問自答しているのが自画像なのではないだろうか。
これほど自画像を描く画家はあまりいない気がする。それでも現状を受け入れ、農業をしながらの画業。
ここで生きていくしかないと悟ったかのような《飯場の風景》、《板・足・頭》。
《飯場の風景》1963年 神田日勝記念美術館蔵《板・足・頭》 1963年 神田日勝記念美術館蔵夢を抱きながらも、常にここから離れられない自分を描いているのではないだろうか。
少しずつ絵が評価されていく中で画家としての暮らしに光明が見えはじめた頃、無彩色だった暮らしが俄然、色彩を帯びてくる。
世界のアートシーンの中に身を置いて、様々なあこがれの画家とランデブーを楽しんでいるような《画室A》、《晴れた日の風景》。
《画室A》1966年 神田日勝記念美術館蔵《晴れた日の風景》1968年 神田日勝記念美術館蔵しかし、日勝は度々、現実の世界に引き戻される。その原風景が、畑を耕す馬であり、牛であると思う。
夢を見たところで変えられない運命。この地から離れることもできず、働きづめで生涯を終えていく馬や牛に我が身を重ねたのであろう。私には日勝の自画像に見えてくるのだ。
その愁いを帯びた瞳は、どこか悲しげである。《一人》は自分を描いてはいるが、馬や牛を描いているのではないかと思えてくる。
《一人》 1964年 北海道立近代美術館蔵絶筆になった《馬》は未完となってはいるが、日勝がすべてを描ききった完成作ではないか。生きる儚さは“有”から“無”に消えていくものだと。
若き日の神田日勝1960年頃 神田日勝記念美術館提供はやしや たいへい
落語家。武蔵野美術大学卒業。同大学客員教授。『笑点』などテレビやラジオ、全国での落語会に出演。CD、DVD、本などの出版物も多数。
http://hayashiya-taihei.com/ 『神田日勝 大地への筆触』
神田日勝は、2019 年度NHK連続テレビ小説『なつぞら』に登場した山田天陽のモデルにもなった画家。1937年、東京・練馬に生まれ、45年、一家で拓北農兵隊の開拓者として北海道・十勝 鹿追に移住。中学卒業後、営農を続けながら全道展、独立選抜展などで作品を発表するが、体調を崩して32歳で夭折した。没後50年を記念した回顧展。
東京ステーションギャラリー開幕延期 6月28日まで 月曜休館(6月22日は開館)※日時指定予約制
一般1100円
電話:03(3212)2485
※入館に際しての注意点やチケット予約方法などはこちら>>神田日勝記念美術館、北海道立近代美術館に巡回
https://kandanissho2020.jp/