私たちの心に寄り添うチャイコフスキー 第3回(全9回) 2020年に生誕180周年を迎えたピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(1840~1893年)。時に甘く、時に悲しく、深く、語りかけるその音楽は、子どもから大人まで聴く者の心をとらえて離しません。本特集では、彼が生前暮らした家や資料、チャイコフスキーに魅了されたかたがたの言葉から、チャイコフスキーの心の奥底、その音楽の真髄に迫ります。
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チャイコフスキーの日常と19世紀後半のロシア
作曲家チャイコフスキーはどのような人々に囲まれ、どんな生活を送っていたのでしょうか。当時最新だった写真から、その素顔や19世紀後半のロシアの風景が見てとれます。新全集を構成するものとして作られた限定50冊のポートフォリオより、その一部をご紹介します。
※写真集は一柳富美子さん所有。ピョートル・イリイチ・チャイコフスキーの生涯
1840年(0歳)ロシア・ウラル地方ヴォトキンスクに生まれる。
1852年(12歳)サンクトペテルブルク法律学校予科入学。
1854年(14歳)母アレクサンドラが死去。
1859年(19歳)法律学校を卒業、法務省入省。
1862年(22歳)法務省勤務の傍ら、サンクトペテルブルク音楽院に1期生として入学、アントン・ルビンシテインに作曲を学ぶ。
1866年(26歳)前年に音楽院を卒業し、創設まもないモスクワ音楽院の講師になる。「交響曲第1番《冬の日の幻想》」を作曲。
1869年(29歳)幻想序曲「ロミオとジュリエット」作曲。
1875年(35歳)「ピアノ協奏曲第1番」初演。
1876年(36歳)初のバレエ音楽「白鳥の湖」発表。ピアノ曲集「四季」を音楽誌に連載。フォン・メック夫人との文通を開始、後に資金援助を受けるように。
1877年(37歳)「交響曲第4番」を作曲。
1878年(38歳)「ヴァイオリン協奏曲」作曲。モスクワ音楽院を辞し、本格的に作曲家の道へ。
1888年(48歳)「交響曲第5番」作曲。
1890年(50歳)フォン・メック夫人との文通・資金援助が途絶える。オペラ『スペードの女王』初演。
1891年(51歳)アメリカ・カーネギーホールの杮落としにて、「組曲第3番」等の自作指揮で絶賛される。
1892年(52歳)クリンに移住。バレエ音楽「くるみ割り人形」初演。
1893年(53歳)サンクトペテルブルクで「交響曲第6番」初演、9日後に急死。国葬が行われる。
〔特集〕私たちの心に寄り添うチャイコフスキー(全9回)
家庭画報セレクトの
チャイコフスキー・プレイリスト
今回の特集に登場するチャイコフスキーの名曲の一部が、Spotify とAppleMusicでお楽しみいただけます(サインインもしくはログインが必要)。
詳細はこちら>>撮影/本誌・大見謝星斗 取材・文/菅野恵理子 編集協力/三宅 暁 取材協力/Natalia Goryacheva ロシア国立チャイコフスキーの家博物館
※写真集は一柳富美子さん所有。
『家庭画報』2021年1月号掲載。
この記事の情報は、掲載号の発売当時のものです。