東京2020大会の幕開けによって役目を終える本連載の最終回は、毎回、人なつっこい笑顔でゲストの懐に飛び込み、貴重な本音を引き出してくださった松岡修造さんのインタビューです。ときにしんみりしながらも、連載タイトルどおり“熱い思い”をたっぷり聞かせてくださいました。
【最終回】
松岡 修造さん
オリンピック・シンボルの中央でいつものガッツポーズ。松岡さんの左手に見えているのは近代オリンピックの父・クーベルタン男爵の像。*本取材は2021年5月24日に行いました。スーツ、シャツ、靴/紳士服コナカ松岡 修造さん SHUZO MATSUOKA1967年東京都生まれ。1986年にプロテニス選手に。1995年ウィンブルドンでベスト8入りを果たすなど世界で活躍。現在は日本テニス協会理事兼強化本部副本部長としてジュニア選手の育成とテニス界の発展に尽力する一方、テレビ朝日『報道ステーション』、同『TOKYO応援宣言』、フジテレビ『くいしん坊!万才』などに出演中。最新著書『世界にチャレンジ! キミにもできる! キミでもできる!』は日本人選手が世界で戦うために何が必要かを説くテニスバイブル。東京2020オリンピック日本代表選手団公式応援団長。「さまざまなかたの思いに触れ、エネルギーをいただいた3年間。オリンピック・パラリンピック、スポーツのあり方を考え続ける日々でした」── 松岡さん
「東京2020の成功に向けて尽力する人々の熱い思いをご紹介する」という目的から生まれた本連載。スタート時、松岡さんはどのような思いでいたのでしょう。「この連載を通して、いろいろなかたの『オリンピック・パラリンピックの見方』を学びたいと思っていました。僕自身はこれまで、選手の視点と応援する視点からオリンピックを見てきましたが、もっと広い視野で多角的に捉えられるようになりたいと考えていたんです。実際、対談を通して、さまざまな見方を知ることができて、本当によかったです。同時に、オリンピックの見方は人それぞれで、同じじゃなくていいのだと強く感じた3年間でもありました」
対談で注入された34名分のエネルギー
「対談の一番の魅力は、お相手のエネルギーを感じられることです。人が人にもたらすエネルギーというのは驚くほど大きくて、僕はいつもゲストのかたがたから元気をいただいていました。ですから、今の松岡修造には34名分のエネルギーが注入されています! 読者のみなさんに、僕が感じたエネルギーが少しでも伝わっていたらいいのですが」
明るく話す松岡さんも、人知れず苦しんでいた時期がありました。コロナ禍のため、東京2020が延期になってからの1年は、「2020年は全力を出しきって灰になる!」と公言していた松岡さんにとって、心揺れる毎日でした。34回分の記事を見返す松岡さんは感慨深げ。スーツの襟もとには、毎回必ずつけていた東京2020のピンバッジが輝いていました。迷い、自信をなくした1年を乗り越えて
「正直、これほど迷い自信をなくした1年はありません。日本中の人たちと一緒に東京2020を最高の大会にするぞ!と心に決めて走ってきた自分が、ウイルスを前に何もできない。『絶対開催すべきだ!』といえないし、思えない。ポジティブな発言ができない自分がいやでした」
そんななか、大会に合わせて1年延長された連載では、「不安な日々を送るみなさんのエールになる対談を」との考えから、幅広い分野からゲストをお迎えするように。「京都大学iPS 細胞研究所所長の山中(伸弥)先生をはじめ、それぞれのご専門で素晴らしい活躍をされているかたがたがご登場くださり、オリンピックやスポーツについて真剣に語ってくださったことは、僕にとって大きな励みになりました。
また、このパンデミックがなければ、きっとご縁がなかったかたとの対談も貴重な思い出です。なかでも、イタリアと日本をオンラインでつないで行った、スキラーチェ校長先生の回は印象深いです。なかなか人と会えなかった時期に、オンラインという新しい形で、遠い国に住む人との絆が生まれたのですから」
松岡さんはまた、大きな目で見れば、オリンピックにとっても悪いことばかりではなかったといいます。「よかったことの一つは、オリンピックというものについて、世の中の人たちが関心を持ち、考えるようになり、議論が生まれたことです。IOCって何? どういう経緯でオリンピックは今のような形になったの?など。これだけオリンピックが注目され、連日話題にされ続けたことは、近年なかったはずです」