「心を調える」秋 京都で新体験 第4回(全30回) 今、私たちに必要なのは、心をからっぽにし、頭を整理する時間です。自分の心に、自分の人生に深く残る何かを求めて、日本の心の原点、京都に旅立ちます。
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禅画に学ぶ「禅の教え」本堂には、室町時代の画僧・如拙が描いた日本最古(1415年)の水墨画といわれる国宝『瓢鮎図』(原寸大レプリカ。本物は京都国立博物館寄託)が掛かっている。「特に優秀な答えはあるんでしょうか」と興味深々の隼人さん。禅芸術には気づきの要素がたくさんちりばめられている。論理に捉われず、自らの力で道を見出す
公案とは、臨済宗の修行で行われる禅問答のこと。退蔵院には、「小さな瓢簞でいかに大きな鯰を捕らえるのか」という問い(公案)が描かれた国宝『瓢鮎図(ひょうねんず) 』が残されています。この禅画の意図を隼人さんは副住職に伺います。
【国宝「瓢鮎図(ひょうねんず)」 如拙筆 退蔵院所蔵】室町幕府第4代将軍、足利義持の命により、山水画の始祖といわれる如拙が描いたもの。上部に、京都五山の高僧31人の賛(回答)が並ぶ。「宮本武蔵自作の刀の鍔(つば)に瓢簞鯰があるのはこの絵によります」(松山副住職)。 京都国立博物館寄託「実際には捕まりませんよね。では何のためにするのか。悟りを満月だとすると、禅問答は『満月を指さす指』にたとえられます。指ばかりを見ていても、お月さまは見えません。
結局、指の指す方向、つまりこの問題は何がいいたいのかという本質を追うことで、その先にある満月が見えるというのが、禅問答の意義なのです。最も重視されるのは、『論理に捉われない』ということ。論理を捨て、自分自身の力で道を見出していくことが大切だ、という禅の教えがそこにあります」と松山副住職。
また、禅修行体験の最後に、修学旅行生や企業研修、外国人など、年間2万人に坐禅を指導している松山さんに、実際に坐禅の仕方(下のフォトギャラリーを参照)と奥義を教わりました。
「坐禅はいわば心の掃除です。一日一度、静かに坐って、姿勢と呼吸を調え、心をからっぽにする。心をからっぽにすることは、心を無にすること。無にすることで何かを吸収することができます。大切なのは5分でもいいので、毎日続けること。スピード優先の時代にあって、心をからっぽにし、自分と向き合い、頭を整理する時間が真に求められていると思います」
「私にとって禅とは、無心になって何も考えずに時間が過ぎること」(中村隼人さん)
退蔵院流 坐禅の仕方を学ぶ
姿勢を調えること(調身)は、心を調えること(調心)。「1日5分でも姿勢を正し、心静かに坐れば、普段の生活の仕方が変わる。禅は確実に人を変えます」(松山副住職)。
下のフォトギャラリーで詳しくご紹介します。 撮影/本誌・西山 航 スタイリング/石橋修一 ヘア&メイク/佐藤健行
『家庭画報』2022年10月号掲載。
この記事の情報は、掲載号の発売当時のものです。