第1回 道を切り拓く
「道を切り拓くことは、美しい絵やおとぎ話を描くようなもの」
こんもりと茂るシイノキの下、童心に返ってブランコに乗れば、目の前には太陽に照らされて霞む幻想的な山並み。田島さんが切り拓いた道の先には地元の人さえ知らない絶景があった。「夢は絶対に叶うから。“すべての道はローマに通ず”を信じて」──田島健夫
ここ「天空の森」は、もともと竹や笹や雑木が生い茂る荒れ山だったんです。今ブランコのある頂上の近くなんて、ジャングルみたいでね。でも、一本一本伐(き)っていくと少しずつ先が見えてきて、一刻も早く全体が見たくなる。その欲求に突き動かされて、旅館(「忘れの里 雅叙苑」)の仕事と並行して開拓に打ち込みました。
1998年頃の「天空の森」のアプローチ。鬱蒼としていた森を切り拓き、整地することで美しい竹林の道が完成した。最も広いヴィラ「天空」も2002年当時は簡素なあずまや。「仕事の合間にスタッフと寝転び、風を感じるのが好きでした」と田島さん。朝は旅館に顔を出してから山へ行き、地元の人たちの手も借りて、竹を伐り、重機で道をつくり、整地する。そして、夕方になると旅館に戻って主人の務めを果たすという、二足のわらじ生活です。そんな毎日を繰り返す中で、死が頭をよぎったことが2度ありました。乗っていた重機がグルグル回って制御不能になったときと、谷底に落ちた車を助けるために危険を顧みず重機で谷に下りたとき。よく無事だったなと思います。運がいい男です(笑)。
ショベルカーを操る田島さん。開拓のために操縦方法を習得した。僕の原動力は亡き母に恩返しがしたいという気持ち。父が早くに亡くなった後、母は女手一つで僕ら子ども4人を育ててくれました。もう一つは高校時代の劣等感です。進学校に合格したものの、周りは優秀な人ばかりでね。同じ土俵では太刀打ちできないと悟って「自分は人と違うことをしよう」と心に決めました。
20代半ばで創業した「忘れの里 雅叙苑」は1年目のお客さんが45人と大苦戦しましたが、考え抜いた末、日本の原風景を再現するという方向に転換して成功しました。その直後にまったく違うタイプのリゾートづくりに着手したのは、追随してくるほかの旅館と同じ土俵で戦いたくなかったから。新しい挑戦というより、ほかから逃げるための一手だったんです。
現在の「天空」。四方の窓を開け放つと、屋内に光と風が溢れ、この上ない開放感が味わえる。鹿児島県の木材をふんだんに使った寝室。自然に抱かれている気分でくつろげる。命の危機を感じることがあっても、心が折れずにすんだのは、目の前のことを一生懸命やり続けていれば、必ず夢に近づけるという確信があったため。同時に、後に引けないという思いもありました。
開拓を進めるにつれ、「ここに桜があったらいいな」とか、「この美しい夕焼けを見ながら入れる露天風呂をつくろう」と次々にアイディアが湧いてきて、それを実行に移していくのが実に楽しかった。
田島さんが「大宇宙(おおぞら)の入り口」と名づけた丘にて。「初めてこの眺望を見たとき、『ここは天なのか、地なのか』と感動して、『天空の森』という名前が浮かびました」。僕はランドスケープの専門家ではないけれど、美しい絵やおとぎ話を描くような感覚で木を植え、畑をつくり、ヴィラを建てていきました。現在も開拓中の場所がありますし、頭の中は新しいプロジェクトでいっぱいです。
「天空」の露天風呂。「人の目を気にせず、心おきなく裸で過ごせる場所を吟味してつくりました」。不思議なのは、僕がこれまで、自分が思い描いた夢で実現できなかったものがないことです。「天空の森」にしても、今進めているヘリコプターを使った観光プロジェクトにしても、多くの人に無理だといわれながら、順調に実現してきています。
ですから、僕が子どもたちにいいたいのは、「夢は絶対に叶う」ということです。そのためには“すべての道はローマに通ず”を信じて、どこからでもいいから、まずは歩み始めること。夢を忘れずにいたら、いつか絶対に手が届きます。僕自身もまだまだ叶えたい夢がいっぱい。人生、面白いです。
色づいた木々を見上げながら、最初期につくった道を歩く田島さんは感慨深げ。「すべての木に思い出があります」。 「天空の森」オーナー 田島健夫(たじま・たてお)
1945年、鹿児島県・妙見温泉の湯治旅館「田島本館」の次男として生まれる。東洋大学卒業後、銀行員を経て1970年に茅葺きの温泉宿「忘れの里雅叙苑」を、2004年に約60万平方メートルのリゾート「天空の森」を開業。卓越した創造力と実行力で日本の観光業界を牽引。
撮影/西山 航 取材・文/清水千佳子
『家庭画報』2022年11月号掲載。
この記事の情報は、掲載号の発売当時のものです。