徳川家康の秘密 第5回(全26回) 東海道で結ばれる出世の道を巡りながら、人間・徳川家康の実像と、意外に知られていない現在の日本人と家康との関係に迫ります。
前回の記事はこちら>> 杉野遥亮さん(大河ドラマ『どうする家康』榊原康政役)と巡る「家康生誕の地」
岡崎は、家康が生を享(う)け、「松平」から「徳川」へと改姓した、まさに「徳川家康」誕生の地です。
家康が出世の道を駆け上がる礎を築いた伝説や足跡が今なお色濃く残る街を、NHK大河ドラマ『どうする家康』で後に徳川四天王に名を連ねる名将、榊原康政を演じる杉野遥亮さんが訪ねます。
大樹寺山門松平家・徳川家の菩提寺として将軍家から篤く敬われた大樹寺。堂々たる山門は1641(寛永18)年3代将軍家光によって建立。山門前に立ち「いちばん来たかった場所」と杉野さん。
岡崎(愛知)
大樹寺
家康の旗印「厭離穢土(おんりえど) 欣求浄土(ごんぐじょうど)」その原点と決意を知る場所
松平八代・徳川歴代将軍位牌「位牌は大樹寺に祀ること」という家康の遺言に従い、松平八代と家康をはじめ14代家茂まで歴代将軍の位牌が安置されている。将軍の位牌は等身大。貫主・中村康雅さんと。桶狭間の戦いに敗れて大樹寺に逃れた松平元康(後の家康)は、自害せんと先祖の墓前に。
しかし、住職である登譽上人(とうよしょうにん)から「厭離穢土 欣求浄土」、すなわち「戦国乱世を住みよい泰平の世にするのがお前の役目である」と諭され、意を翻します。
ときに元康19歳。終生座右の銘としたこの8文字に導かれて再起を誓った転機の地で、運命的な出会いを果たしたのが、当時大樹寺で学んでいた若き榊原小平太(後の康政)でした。
「家康にとっても大きな転機であったけれど、康政がそこに居合わせたというのは、ご縁ですよね」と杉野さん。
お話しくださった第64世貫主・中村康雅さんもまた、「康政が大樹寺で勉強していたというのは、資料にも残っている史実です。もし家康と縁がなければ、ひょっとしたら僧になっていたかもしれませんね」といいます。
家康の人生と併走するように、榊原康政は主君を支え、自らも出世の道をまい進していきます。
「家康と一緒に成長していった人だと思うんです。演じているからでしょうが、僕自身、ここは『自分の場所』だと感じます。来ることができてよかったです」
松平八代の廟所家康の父、松平広忠の墓(手前から2番目)に手を合わせる杉野さん。先祖の墓が立ち並ぶこの場所で、失意の家康は自害を試みた。 Information
大樹寺
愛知県岡崎市鴨田町広元5-1
- 1475(文明7)年、松平4代親忠(ちかただ)により創建された浄土宗の寺院。松平家・徳川将軍家の菩提寺として名を馳せる。若き日の家康が生涯守り抜いた人生訓を得た寺としても知られる。
撮影/小林廉宜 取材・文/清水千佳子 スタイリング/伊藤省吾〈sitor〉ヘア&メイク/後藤 泰〈OLTA〉 Tシャツ8800円/タウンクラフト(セル ストア) その他/スタイリスト私物
『家庭画報』2023年5月号掲載。
この記事の情報は、掲載号の発売当時のものです。