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ふるさとの絶景【山梨県】篠田桃紅さんが綴る「ふじ」

2020.07.03

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家庭画報が選んだ“ふるさとの絶景” 第20回(全48回) 本誌ゆかりの皆さまに、生まれ育った故郷の心に残る風景、お国自慢の景観など“ふるさとの絶景”をうかがいました。47都道府県を網羅しています。読者の皆さまが生まれ育った場所や現在暮らす場所の絶景に、出合えるかもしれません。前回の記事はこちら

山梨県
山中湖から見る赤富士


篠田桃紅さん推薦


ふるさとの絶景【山梨県】山中湖から見る山中湖から見る

ふじ 篠田桃紅


一(ひと)夏を、ふじ山のふもとで暮したが、ふじの完全な姿を見たのは、七、八回ぐらいか、十回に満たなかったような気がする。朝早起きして、赤富士を眺めても、数分でふじは雲にかくれてしまうことが多い。


雲にかくれる、と言うより、ふじ自身が雲を生み、それで身を包む、と言ったほうが当っている。山に当る空気は、見る見る雲化して、山を包むのだ。

雲が動いて少し山脈が見えたかと思うと、また次の雲に包まれる。ふじはきものを脱いだり着たりしている、生きもののようなリズムさえ感じられる。

片肩に、さっとひっかけたような雲、一刷毛(ひとはけ)描いたような、また羽毛のようにも見える白いもの、それ自身生きもののように身じろぎ肩を抜くように動き、また柔らかく撫でるようにずれていって、五合目辺まで降りてきて消えてしまったりする。

頂上のあたりに、ひさしの大きい帽子をかぶるように、ふと出現する雲とか、スカーフのようなうすものを展(ひろ)げたり、消したり、また、まるで筆描きのカスレのようにこまかな点々の連りで、山全体を包もうとしたり、それをサッとたたんで片付けてしまったり。

とにかくふじは雲を造り、雲を遊ばせ、たわむれ、泳がせ、しかもおのれは一指だに動かさず、微動だにしないのだ。

少しの風が起きたかと思うと、雲が切れ切れに散らばり、陽がまだ高い午後など、裾野一帯の草原に、散らばる雲の影、それを影地図と言った人がいるが、私はその地図、刻々と動き変わっていく地図を見るのが好きだ。

裾野一帯の途方もなく広い原野の、草や木の葉の擦れと、雲の影の揺れとが、重なり、触れたり離れたりして作る画は、人はどうしても作り得ない動画である。

その揺れ、はずみ、溶け込み、明暗に見入り、長い時間が過ぎるのも忘れ、いつか陽が昏(く)れて裾野一帯が蒼く深い色のひろがりになっているのにハッと気が付いたりするのだ。

そしてふと見上げると、ふじは濃紺のひと色に染まり、茜色の空の中に一段と大きく高く、そして静かに存在している。

こういうふじを、何十年にもわたって幾度か私は見てきたが、見る度に、静かな驚きを覚える。その都度、新しい山と出遇うような、それは親しみながらも、ハッとさせられるような思いである。

静かにうろたえる、と言えば矛盾しているが、そんな感じである。よく知っているつもりなのに、ふと突き動かされるものがある。

そして次第に濃紺を深めていく、大きなかたちの前で、私が、私自身がだんだん小さなものになっていくのを感じる。自然界の中の人間のひとりということがわかるのだ。小さく、しかもアリアリと。

ふじ山は、絵葉書などになり過ぎて、通俗な印象を持たれたりしてもいる。「ふじ山を美しいなどと言っているような美意識ではダメ」とおっしゃった画家もあったし、「ふじ山は二十分も見ていると飽きてしまう」という小説家の文も読んだことがある。

だがまた「ふじが美しいのは、頂きに氷、底に火、その両極を持っているからだ」とふじを愛した詩人・草野心平さんは書かれていた。

また「おのずから位を超えし白雪のふじよとかくの論無かりけり」と歌った歌人もいる。有名な「ふじには月見草がよく似合ふ」(太宰治)というのも、ほんとうだと思うし、万葉集の昔から「語り継ぎ言い継ぎゆかむ不盡の高嶺は」と歌われてきたのだ。〈中略〉

とにかくふじ山の、長く、大きな存在は、いろいろの人が、いろいろに見たり、書いたり、歌ったり、論じたり、描いたりしてきた。そういう書物や写真や絵や彫刻、焼物などを若も しこの裾野に集めて積み上げたら、頂上まで届くかも、などとふと妄想したりする。

しかし、若し、人の思い、ふじへの思いというものが尺度に替えられるものであったら、それはユウに山頂に届くはず、と私は思う。昔、ふじが煙を吐いていたころ、じぶんの思いをふじの煙に託して歌ったひともいたのだから。

近ごろまた、ふじが煙を吐きそう、と言われだした。

煙か、地震か、その両方か、などと観測されている。自然というものは、その自然の一員である人類から見ても、わからないことが山ほどあり、地震や雷がコワイのは昔も今も変らない。

煙が噴き出したら、たいへん、煙にことよせて、「ゆくえもしらぬわがおもいかな」などと、昔の人のように詠嘆してばかりはいられないわけである。

先だっても、噴火に備えて、山麓の市では避難、防災の訓練があったばかり、美しいものが、突如恐ろしいものになるかもしれないのだ。

草野氏の言われたように、底の火、頂きの氷、一身に両極を持つことのおそろしさ、うつくしさ、それは朝焼けのふじの、地上のものとは思えない荘厳さ、夕べの山の言い知れぬ不思議な大きさ、が語っているような気もする。それは既にこの世ならぬ感じだから……。

大自然を司る神というものがあるなら、祈りたい。ふじには静かに煙を吐かせるほどにして、この山容を守って頂きたいと。

●(しのだ・とうこう)


旧満州・大連生まれ。美術家。25歳のとき、富士山麓にアトリエを構える。『桃紅一〇五歳 好きなものと生きる』(世界文化社)ほか著書多数。

富士山の絶景を撮影した動画はこちら


「#ふるさとの絶景」の記事一覧はこちら

〔特集〕家庭画報が選んだ“ふるさとの絶景”(全48回)

01 【北海道】パッチワークの路
02 【青森県】弘前城から眺める岩木山
03 【岩手県】早朝の黒崎仙峡の岩頭
04 【宮城県】“壮観”大高森から眺める松島湾
05 【秋田県】武家屋敷の黒塀に映える枝垂れ桜
06 【山形県】月山の万年雪
07 【福島県】猪苗代湖の白鳥と磐梯山
08 【茨城県】日立駅から見る太平洋
09 【栃木県】竜頭(りゅうず)の滝のしぶき
10 【群馬県】澄んだ空気に映える夏の尾瀬ヶ原
11 【埼玉県】国指定の天然記念物、長瀞(ながとろ)岩畳
12 【千葉県】鋸山の地獄のぞき
13 【東京都】皇居と整然と並ぶ丸の内の高層ビル街
14 【神奈川県】鶴岡八幡宮の段葛
15 【神奈川県】披露山公園から望む相模湾の夕景
16 【新潟県】弥彦山山頂から眺める越後平野
17 【富山県】富山湾の神秘、ホタルイカの群遊
18 【石川県】奥能登の里山と集落の景観
19 【福井県】レインボーラインから眺める三方五湖
20 【山梨県】山中湖から見る赤富士
21 【長野県】標高1770メートルから望む雲海の世界
22 【岐阜県】かつて津保川の上を走っていた名鉄美濃町線
23 【静岡県】蓬萊橋から眺める富士
24 【愛知県】写生会で描いた名古屋城
25 【三重県】鈴鹿山脈――私の花の師
26 【滋賀県】新たに生まれた仰木(おおぎ)の里山風景
27 【京都府】天橋立股のぞき
28 【大阪府】岸和田だんじりと岸和田城
29 【兵庫県】淡路サンセットラインから眺める夕陽
30 【奈良県】平城宮跡から見る夕陽
31 【和歌山県】家族で訪れた橋杭岩(はしぐいいわ)
32 【鳥取県】海に沈む夕日が照らす鳥取砂丘
33 【島根県】隠岐・西ノ島、国賀海岸の摩天崖(まてんがい)
34 【岡山県】鷲羽山(わしゅうざん)から見る瀬戸大橋
35 【広島県】焚火山(たくひやま)から見た東城盆地の雲海
36 【山口県】青と赤が美しい元乃隅神社
37 【徳島県】「楽園」の原点、鳴門のうず潮
38 【香川県】金刀比羅宮展望台からの眺め
39 【愛媛県】西条市内から眺める冬の石鎚山
40 【高知県】茅吹手(かやぶくて)の沈下橋
41 【福岡県】小文字山の中腹に建つメモリアルクロス
42 【佐賀県】400年前に発見された有田・泉山の磁石場
43 【長崎県】雲仙に咲くミヤマキリシマ
44 【熊本県】阿蘇の草千里の夏―真っ白な雲、そよぐ風
45 【大分県】神仏習合の風景、両子寺(ふたごじ)と宇佐神宮
46 【宮崎県】小倉ヶ浜からみるサンライズ
47 【鹿児島県】夕暮れ時、大島海峡を渡っていくフェリー
48 【沖縄県】沖縄慶良間(けらま)諸島、阿嘉(あか)島のニシバマビーチ




この特集の掲載号
『家庭画報』2020年7月号



写真/アマナイメージズ=田中秀明

※ご紹介した絶景は、季節や気象条件等により見られない場合があります。ご了承ください。

『家庭画報』2020年7月号掲載。
この記事の情報は、掲載号の発売当時のものです。
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