【特別取材】天平の十一面観音を訪ねて 奈良・聖林寺の国宝と出会う 第2回(全3回) 大和の桜井、多武峰街道が山ふところに入る付近にある「聖林寺(しょうりんじ)」。名高い聖林寺の十一面観音は、かつては大神神社の最も古い神宮寺である大御輪寺のご本尊として祀られていましたが、1868年に聖林寺に移されました。フェノロサや岡倉天心が絶賛した、奈良時代に造られた木心乾漆のお像。尊厳のある輝く観音様です。
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女性を守るお地蔵様 本尊・子安延命 地蔵菩薩
寺に到着したら最初に本堂を訪ねたいものです。まず目に入るのが、江戸・享保時代からこの寺を守る、ご本尊の子安延命地蔵菩薩。
安産や子授けの願いを叶えてくれるお地蔵様は、この寺の僧、文春諦玄によるものです。
聖林寺のご本尊の石の地蔵菩薩。その日の湿度によって違う表情を見せる。錫杖で音を鳴らし、人々を救う。いい伝えでは、文春には3人の姉がいましたが、彼女たちはお産で幾度も苦しんだといいます。そこで文春は大石仏造像の願をかけ、自身で彫った木彫りの地蔵を背負い、4年7か月にも及ぶ諸国行脚の旅に出ました。造像の際には、地蔵菩薩が文春の夢枕に立ち、但馬の石工に彫らせるよう告げたといいます。
こうして江戸中期に造られた子安延命地蔵菩薩は、長きにわたって人々に信仰されてきました。桜井の人々にとっては、聖林寺は「お地蔵様のお寺」なのです。
本堂にある向かって右は掌善童子、左は掌悪童子。冒頭の写真のように共に菩薩をお守りしている。本堂には、ほかにも荒神と大日如来の神仏習合された如来荒神(室町時代)、隆々としたお姿の毘沙門天(鎌倉時代)。藤原時代後期といわれる聖観音菩薩と地蔵菩薩を脇侍とした、阿弥陀如来がある。聖林寺は奈良時代の和銅5(712)年、藤原鎌足の長男、定慧が、多武峰妙楽寺(今の談山神社)の別院として建てたと伝えられている。江戸時代に再興され、本堂の地蔵菩薩はその頃造られた。「お地蔵様の造像については、大和のおはなし、というかたちで民話として語り継がれており、4年ほど前に絵本にいたしました。優しい言葉と美しい絵で小さいお子さんにも楽しんでいただけます。
また聖林寺では、事前にご連絡をいただければ、大概を真言密教に則り安産や求子のご祈禱を行っています。不安な状況下の昨今ですが、大らかなお地蔵様にご祈念され、妊婦さまや子授かりをご希望のご夫婦やそのご家族から、大変うれしいご報告をいただきます」(倉本明佳ご住職談)
毎年8月24日、本尊地蔵菩薩会式で配られる散華。この寺で見られる季節ごとの美しい花が描かれている。本尊地蔵菩薩会式でのご住職。