桜に託す想い
若草山の麓に向かう途中、茶山園地ではピンク色の奈良九重桜が可憐な花を咲かせている。奈良公園の喧騒の中心からほんの少し離れ、桜と向き合う。桜が舞い散る頃には、花びらをついばむ愛らしい鹿の姿も。佐保川の夜桜
奈良市と大和郡山市を流れる佐保川(さほがわ)。川沿いに美しい桜並木が約5キロ続く、奈良を代表する桜の名所。例年、3月末から4月上旬に催される桜まつりの期間中は、夜間ライトアップも行われる。最寄り駅は近鉄「新大宮」など。佐保の桜に 焦がれて ―― 河瀨直美
千鳥鳴く 佐保の河瀬の さざれ波
やむ時もなし 我が恋ふらくは
(千鳥が鳴く佐保の川の瀬のさざ波のように止むことはありません、あなたへの恋心は)優れた歌人として知られる大伴旅人の妹、大伴坂上郎女が残した歌には、現代にも通じる切ない恋心を歌ったものが多い。
歌を宛てた相手は婚姻関係にあった藤原麻呂。当時の結婚は通い婚。いつ愛おしい人が訪れてくれるかわからない時間を女性たちは待っていたのだ。
我が家の裏庭はこの佐保川に面している。千年も前の人が歌った歌を同じ川の水面を見つめながら想う。
川の両岸には見事な桜並木がある。幕末に奈良奉行、川路聖謨(としあきら)が植樹させたもので樹齢が150年を超える古木も残っている。
桜は散り際が美しい。風に吹かれて散る花びらが川面に浮かび流れてゆく様は、この世のものとは思えない幻想的な光景だ。
沖縄に古くから伝わる琉歌
春の山川(はるぬやまかわ)に 散(ち)り浮(うか)ぶ桜(さくら)すくい集(あつぃ)めてど(みてぃどぅ) 里(さとぅ)や待ちゆ(まちゅ)る里とは愛おしい男性のことを言う。遠く離れた土地でも、どんな時代でも、大切な人を想う気持ちに差はないのだ。
桜は刹那だ。その開花までを永い間、心待ちにするけれど、あっという間に満開となり、あっという間に散り急ぐ。
まるで熱病のような恋を永遠に歌に閉じ込めるように、その想いを紡ぐ。
いにしえの人の心を現代の私が繋ぎ止めるように、創作は永遠だ。
今年も佐保川の桜を愛でながら、月夜に一句。
月や山の端に かかるとも我身や
くり返し里声 聞ちょて枕月が山の端にかかろうとも、大好きな人の声をくりかえし、くりかえし聞いて眠りにつきます。桜の花が心惑わすこんな春の夜には
映画作家 河瀨直美(かわせ・なおみ)生まれ育った奈良を拠点に映画を創り続ける。一貫した「リアリティ」の追求による作品創りは、カンヌ映画祭をはじめ国内外で高い評価を受ける。代表作は『萌の朱雀』『殯の森』『2つ目の窓』『あん』『光』『朝が来る』など。総監督を務めた公式映画『東京2020オリンピック(仮)』が今年(2022年)6月公開予定。「なら国際映画祭」を立ち上げ、積極的に後進を育成。その活動は多岐にわたり、2025年大阪・関西万博テーマ事業プロデューサー兼シニアアドバイザー、バスケットボール女子日本リーグ会長、ユネスコ親善大使も務める。