日本の絶景神社巡り 最終回(全19回) 心の平安と開運を祈願して、『古事記』ゆかりの神様に会いに行く、わが家に神様をお迎えする、という2つのアプローチで日本の神様と真摯に向き合います。
前回の記事はこちら>> 宝船御飾清祓式。上賀茂神社の運を開く宝船
毎年多くの人々に心待ちにされている日本一立派な上賀茂神社の宝船。毎年、自然の材料を使って、真心を込めて作られています。中門に披露されるまでの舞台裏を拝見しました。
御祭神の賀茂別雷大神は、あらゆる災難と厄を取り除く「厄除け」の御神徳があるといわれている。5本の矢は御祭神の母、玉依比売命(たまよりひめのみこと)が賀茂川の上流で見つけた矢を示している。その矢を持ち帰ったところ、懐妊されたという。12月中旬、紅葉の季節が終わり、静けさを取り戻した京都は、お正月迎えの準備に入ります。
12月13日は「事始め」の日。神社では畳を上げて埃をかき出し、煤を払い、歳神様を迎えるための大掃除が始まります。
約2600年前、神が降臨したといわれる京都最古の神社、賀茂別雷(かもわけいかづち)神社(上賀茂神社)では、「宝船御飾清祓式」が行われます。近所に住む吉田裕彦さんが約半前からミチクサや葛藤(つづらふじ)の蔓、稲穂などの材料を集めて、心を込めて作った、日本一大きく立派な宝船。本殿前にてお清めされた後は、中門に吊り上げられます。
あらゆる災難、厄や穢れを祓い浄める力をもつ賀茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)の御神徳を受けた宝船の下を通るとよい一年になるといわれており、神事の間も中門前にはいち早く新しい宝船を拝みたいと願う参拝者でいっぱいです。
一連の儀式を終えて頭上高く、朝日に照らされた宝船は、神々しく堂々と輝いていました。
左上・宝船が本殿前に供えられ、祝詞が奏上された直後、宝船の烏瓜(からすうり)に光が差して煌めいた。右上・その後、宝船と吉田裕彦さん、英子さんご夫妻のほか、関係者は巫女による五十鈴の儀を受ける。左下・神職が二人がかりで本殿前から、中門までゆっくりと運ぶ。右下・参拝者が見守る中、宝船が吊り上げられる。右とその上・本殿へと向かう神職のかたがたと吉田さんご夫妻と、吊り上げられた宝船。12月13日から節分まで飾られる。里山で素材探しから始める、吉田裕彦さんの宝船づくり
全長約1メートル、幅40センチ、20キロもある堂々とした宝船を仕上げる吉田さん。烏瓜は正月の太陽、松の実は月、竹はまっすぐな心を表している。上賀茂神社の宝船を作り始めて17年目を迎える吉田裕彦さん。毎年、京都が猛暑を迎える7月から準備を始めます。まずは、本体の俵や縄を作るイネ科のミチクサや葛藤(つづら)ふじの蔓を探しに山や川の畔に出かけます。
「目が慣れるまで、草むらの中でミチクサを見つけるのは難しい。毎年必ず同じ場所に生えているとは限らないので、何度も出かけて少しずつ集めます」。藁ではなくミチクサにこだわるのは、い草のように香りがよいうえに色落ちせず、何度踏まれても立ち上がるその力強さのため。葛藤(つづらふじ)の蔓の強度は格別で、どんなに強く結んでも切れることがありません。
さまざまな蔓が絡み合う山の中で、一目で葛藤の蔓を見つける吉田さん。既製品の縄を買うのではなく、自然の素材を利用することに意味があると語る。竹や松、稲穂やウラジロなどもすべて近隣の自然からのもの。
「人間は自然の中で生かされている。だから自然界にあるもので祝いのお飾りを作りたいのです」と語ります。
上・もち米の稲穂とミチクサ。右・近所の里山で採れた烏瓜と上賀茂神社の庭の松。烏瓜の種は大黒様の形に似ているため、宝船にはなくてはならない材料だ。すべての材料を一室に揃えた11月のある日、吉田さんは全身全霊で一気に編み上げました。手を動かしながら心の中で祈ります。
「争いがなくなり、世界中の人々に平和が訪れますように。子どもたちが幸せになりますように」。心を込めて作り上げられた宝船は、今年も清祓式を迎えようとしています。
Information
賀茂別雷神社(上賀茂神社)
京都府京都市北区上賀茂本山339
撮影/伊藤 信 ●特集内の表記、ふりがなは各神社、著者の指定に準じます。
『家庭画報』2023年1月号掲載。
この記事の情報は、掲載号の発売当時のものです。