桜花爛漫 桜を守り、伝えるということ 第6回(全12回) 春が来るたび、私たちの目を楽しませ、心癒やしてくれる桜。地域の子どもたちからプロフェッショナルまで、私たちの“宝”を守り、未来に繫げる桜守の物語とともに、とっておきの桜絶景をご紹介いたします。
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「日本一の桜の里」を目指し、市内に1万2000本以上の桜がある伊那市を中心に伊那谷には古くから桜を地域の宝とみなし、大切にする文化が存在します。咲き誇る桜のそばには必ず、熱心に世話をする人の姿がありました。
高遠城址公園(長野県・伊那市)
早朝の桜雲橋。桜のトンネルをくぐるように渡る、アーチの緩やかな太鼓橋。「桜憲章」のもと受け継ぐこの地のシンボル
桜守 西村一樹さん(にしむら・かずき)伊那市振興公社職員として桜守になって18年。「とにかく観察をしっかり」という先輩の教えを守り、毎朝カメラ片手に園内を巡回。江戸時代には高遠藩の藩庁が置かれた高遠城。廃藩置県で城が取り壊され荒れ果てていた城址に明治9年、旧藩士たちが移植したのが、藩で一番の景勝地だった「桜ノ馬場」の桜でした。
現在、花見の季節には20万人もの観光客が訪れる同園の桜は1500本以上。そのほぼすべてが高遠小彼岸桜で、赤みを帯びた小ぶりな花々の満開時には、公園一体がピンク色の雲に覆われているかのようです。
標高約800メートル、市街地を一望できる高台にある高遠城址公園を訪れると、最初に目に入るのが、入口の看板に記された「高遠町桜憲章」。
貴重な財産である桜を後世に継承することを目的に、「機会あるごとに暖かい愛の手をさしのべ、たいせつに保護する」、「この優れた樹種の町外への持ち出しは厳につつしむ」といった文言が綴られており、町民の桜への深い愛情と誇りが伝わります。
本丸の入口に建つ問屋門。満開の時期には桜に覆い尽くされる。広い公園内を進むと、城下の役所にあったものを移築した問屋門や、明治時代に建てられた太鼓櫓、昭和初期建立の和風建築で国の登録有形文化財である高遠閣などが現れ、歴史を感じさせる趣のある建築が桜とともに情感溢れる風景をつくり出しています。
屋根が見えているのは高遠閣。木造2階建ての入母屋造で、高遠町出身の有志らの寄付で建てられた。夜桜ライトアップも今年は盛花時に10日間程度実施される予定。全国でも指折りの花見スポットであるこの公園で、桜のために日々奮闘しているお一人が、桜守歴18年の西村一樹さん。仕事は桜の木の観察、剪定、施肥、病害虫対策、ガイドなど、多岐にわたります。
「花が終わって葉が出始めたら、まず『お礼肥(れいごえ)』を施します。これは花を咲かせてくれたお礼に、消費した栄養分を補い、木の生命維持や翌年の花芽をつけるのに必要なエネルギーを与える作業です」。
もう一つ、西村さんが担う重要な役目が、「地域桜守」の養成と指導です。高遠をはじめ、いたるところに桜がある伊那市には、全体で45名ほどのボランティアがいて、リタイア後に地域に貢献しようという60代、70代の男性が中心。
1年かけて桜守の基礎を教え、その後も年に数回開く講習会で季節ごとの注意点などを伝えています。そんなベテラン桜守の西村さんでも、開花の頃は「無事に咲くだろうかと緊張し、ぽつぽつ咲き始めると心が軽くなる」のだそう。
今年3年ぶりに通常規模で開催される「高遠城址公園さくら祭り」は4月初旬からの予定。桜を愛する人人の緊張と期待が高まるなか、公園が桜色に染まる日が近づいています。
Information
高遠城址公園(たかとおじょうしこうえん)
長野県伊那市高遠町東高遠
撮影/本誌・西山 航 森田敏隆 取材・文/清水千佳子
『家庭画報』2023年4月号掲載。
この記事の情報は、掲載号の発売当時のものです。