ピエール・エルメ日本のフルーツ礼讃 第2回(全3回) 丁寧に手をかけることで、姿美しく、風味豊かに実る日本のフルーツは、わが国が誇る独特の食文化です。スイーツの巨匠ピエール・エルメさんが旅した冬の青森、新潟、宮崎。各地で出会った旬のフルーツとそこからインスパイアされた新たなスイーツとは──。
前回の記事はこちら>> 豊かで格調高い甘みと香り、とろけるような柔らかさが特徴。【新潟のル レクチエ】
明治時代、1人の商人からもたらされた最高級フルーツ
近年、日本でも秋冬のフルーツとしてすっかり定着した西洋なし。その中で、とりわけ高貴な香りと甘み、ごくなめらかで柔らかい食感を備えているのが、“ル レクチエ”です。
あまたある贈答用のフルーツにおいても最高級クラスに属する名品として、知名度を高めつつあります。
新潟市の南区は、そのル レクチエの一大産地にして発祥の地でもあります。
明治時代、この地の庄屋であり、欧州にも足を延ばす意欲的な商人であった小池左右吉(さゆうきち)が、フランスのオルレアン地方から持ち帰った苗が起源です。
小池左右吉の孫、美與志さんの農園の一角に、「ル レクチエ発祥の地」の石碑が建つ。
Pierre Hermé(ピエール・エルメ)
アルザスのパティシエの家系の4代目として生まれ、14歳のときガストン・ルノートルのもとで修業を始めた。常に創造性溢れる菓子作りに挑戦し続け、独自の“オート・パティスリー(高級菓子)”のノウハウの伝授にも意欲を燃やしている。2007年、レジオン・ドヌール勲章シュヴァリエを受章。2016年、《世界のベストレストラン 50アカデミー》より「世界の最優秀パティシエ賞」を授与された。石碑の傍らでは、樹齢100年を超える古木が実をつけていた。左右吉の地元では、江戸時代から、なしなどの果樹が栽培されていました。
その流れで、ぜひこの美味なるフルーツを皆で育てたい......と意気込んだ左右吉ですが、栽培の難しさから、思うように広がらなかったとのこと。
4月に咲くル レクチエの花。人の手で1つずつ受粉させる。それでもいつか支持者が増えるはずと栽培を続けるうち、徐々にル レクチエは「知る人ぞ知る」貴重なフルーツとして、静かな人気を博すようになったのでした。
今では、左右吉の孫である小池美與志(みよし)さんをはじめとする農家のかたがたが志を継承。地域の財産としてル レクチエの栽培に取り組んでいます。
重要文化財に指定されている旧笹川家住宅にて。日本家屋の風情を堪能するエルメさん。