内外の文化交流の歴史を今に伝える
国宝の魅力を識る
中国や朝鮮半島、ヨーロッパとの交流の玄関口であった九州には、諸外国の文化が流入し、ほかの地にはない文化が今に伝わります。大分と長崎に残る神社、寺、教会など、趣を異にする国宝建築4件をご紹介します。
前回の記事はこちら>>【長崎】
檀 ふみさんと訪ねる国宝建築
崇福寺は明代末期から清代初期に見られる黄檗様式で建てられている。国宝の大雄宝殿に立つ檀さん。「中国から礎石や木材を運び、大工さんまで中国から呼んで造ったとは驚きです」。ストール/ゲイナー(チェルキ)中国から運んだ材で建てた黄檗(おうばく)様式の寺院
崇福寺(そうふくじ)
江戸時代、貿易の拠点となった長崎には数多くの中国人が居留しており、キリシタン弾圧が厳しくなると、彼らは仏教徒であることを示すために唐寺を建てました。
中国福建省福州出身者たちが唐僧・超然を招き、1629年に建立した崇福寺もその1つ。長崎に現存する最古の建物です。そのうち、「大雄宝殿」と「第一峰門」が1953年、国宝に指定されました。
第一峰門は中国の寧波(ニンポー)で作られ、日本で組み上げられた。「創建当時はどれだけ鮮やかだったことでしょう」と檀さん。檀 ふみ(だん・ふみ)さん数多くの映画やドラマへの出演、音楽や美術番組の司会など、幅広い分野で活躍。エッセイの名手でもあり、『檀流きものみち』『檀流きもの巡礼(たび)』(いずれも小社刊)など著書多数。長崎の街と、2つの国宝には魔法がかかっている
──文・檀 ふみ長崎の街には魔法がかかっている。
長崎にある2つの国宝建造物を訪ねて、ますますその思いを強くした。唯一無二なのである。あまたある他の国宝とはまったく趣が異なるのだ。
たとえば、
大浦天主堂。
たしかに美しい。だが美しさだけを問うなら、もっと美しい教会がヨーロッパにたくさんあるだろう。現存する日本最古の教会といっても、たかだか150年。法隆寺の1300年とは比ぶべくもない。
ここが特別なのは、宗教史上、稀な奇蹟の場ということである。
150年前、「サンタ・マリアの御像はどこ?」と、見物客を装って、神父に近づいてきた女性たちがいた。キリスト教禁教と宣教師追放、キリシタン迫害の歴史が続いた250年もの間、信仰を守り通してきた浦上の隠れキリシタンたちだった。
世界的ニュースとなった「信徒発見」を見守った「サンタ・マリアの御像」は、いまもその場所にあって、やはりそこだけ特別な雰囲気をかもしている。
「でも、『信徒発見のマリア像』は、国宝ではないんですよね」
天主堂の諸岡清美神父がポツリとおっしゃった。
そして崇福寺。「ここは、国宝の中の国宝です」と、太鼓判を押したのは、国宝の指定にも関わった、元長崎歴史文化協会会長の越中哲也氏である。
特別なことは、竜宮城のような最初の門(三門)を見ただけでわかる。しかし、こちらは国宝ではなく重要文化財。国宝は、次に現れる第一峰門。
軒下の「四手先三葉栱(よてさきさんようきょう)」と呼ばれる複雑怪奇な木組みに目を奪われる。日本でこんな木組みがなされているのは、ここだけという。
瑞雲、丁子、方勝、霊芝などの吉祥文様が描かれた第一峰門の「四手先三葉栱」。複雑巧妙な造りで、国内はもとより中国でも珍しい斗栱(ときょう)。「これだけのものは、中国にもなかったですよ」と、越中氏。
本堂もしかり。中国で刻まれ、唐船で日本に運ばれてから組み立てられたという部材が多いらしい。寺に入った途端に、違う時代の違う国に迷い込んでしまったような気分になる。
鎖国の時代に港を開いていた、長崎ならではの建物。しかも原爆という人類史上稀な惨禍をくぐり抜けて、いまここにあるという奇蹟。
長崎の二件の国宝にも魔法がかかっているのか。
崇福寺長崎市鍛冶屋町7-5
TEL:095(823)2645
拝観時間:8時~17時
拝観料:一般300円
※今特集は、2016年3月号「国宝を観る」、2018年2月号「極上の湯宿を楽しむ」、2018年6月号「緑、眩しい九州へ」、2018年11月号「秋の国東半島へ」などを再録、再編集したものです。