「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」の格言や、一万円札の肖像として、日本人の誰もがその顔と名前を知る偉人だが、その実像は意外に知られていない。三田演説館の前に立つ福澤諭吉像。(写真/慶應義塾広報室)【独立自尊】
独立とは、自分にて自分の身を支配し、他に依りすがる心なきを言う
──学問のすすめ 三編「私立学校」慶應義塾の設立「官立」は国のお金に養われて生きていくことで、真の独立にならないとし、慶應義塾という「私立」学校を創設。官尊民卑の時代、“官頼み”や“お上”への従属意識を戒め、官(国)に対する民(国民)の力を知らしめた。また、日本で初めて「授業料」という言葉を使い、生徒全員から平等かつ公明正大にお金を集める仕組みを作った。写真は1912(明治45)年に竣工した慶應義塾図書館旧館。(写真/慶應義塾広報室)今、福澤諭吉に危機の時代の心得を学ぶ
馬鹿不平多し──今回、取材で出会った福澤諭吉の言葉の1つです。
物事の本質を的確に見抜き、心に響くキャッチーな表現で、人々を導いた福澤の真骨頂ともいえる表現です。
その意は、「他責は意味のない時間の浪費であり、素直に学びポジティブ思考で率先垂範することが重要であるということ」。
国が悪い、社会が悪い、仕組みが悪いと批判をすることは簡単です。しかし、福澤は、そんな不平を言う暇があれば、今、自分にできることは何か、自身自身の頭で考え、前に動けと教えています。
今、世界が置かれた未曽有の危機に際し、福澤なら何と言うだろう──。そんなことを自問しながら、今回、福澤諭吉の足跡と教えを辿りました。
権威や格式を嫌い、「これはこうするものだ」という常識を疑い、合理的実用本位で、男尊女卑思想を一喝し、健康に留意をし、散歩が大好きで、奥さんと子どもを「さん」付けで呼び、明るく社交的で、でも親友は1人もいないと言い、教育に情熱を燃やし、慶應義塾を創始し、新聞を発行し、周りの空気は読まず、人におもねることや忖度を嫌い、精神の上で近代日本の礎を築いた無位無官の偉大なる平民。
マルチな人間力に溢れる福澤ワールドを巡ります。
【演説】
演説とは英語にて「スピイチ」と言い、大勢の人を会して説を述べ、席上にて我思うところを人に伝うるの法なり
──学問のすすめ 第十二編三田演説館の開館福澤諭吉は、「演説」という言葉を作り、その意義と重要性を世に問うた。1874(明治7)年三田演説会を開催、その翌年、慶應義塾内に日本初の演説会堂を開館した。西洋では古代ギリシャの時代から、自らの意見を民衆に披露するスピーチが不可欠だが、封建時代の日本にはなかった。(写真/慶應義塾広報室)【家庭】
西洋の語に之をスウィートホームと言う。楽しき我が家の義にして
──福翁百話家族思いの諭吉が末姉の服部 鐘に宛てた手紙自らが創刊した雑誌『家庭叢談(そうだん)』で「家庭」という言葉を世間に広め、家族団欒の大切さを説いた諭吉。自身も家族愛に溢れる人物だった。57歳のときに送ったこの手紙は、病気の姪、お一を見舞ったもの。右ページ最終行に「九月十一日 諭吉」、左ページ冒頭に「服部御姉様 人〻御中」とある。「尚尚書(なおなおがき)」と呼ばれる追伸部分の「玉子なりミルクなり」というあたりは、いかにも西洋料理を好んだ諭吉らしい。福澤記念館所蔵追伸 お一の病気は深刻で、
薬も気休めにしかならず
妙薬がありません。
手術という方法もあるが、
これも負担があり危ないでしょう。
ただ体を養生することが
一番の方法なので、
玉子なり
ミルクなり、または魚や肉でも、
何でも精がつくものを
食べさせてやりたいものです。
(現代語訳/中津市文化財担当 松岡李奈)福澤諭吉の母・お順(左)と姪のお一 慶應義塾福澤研究センター