Vol.10 タイで“働く女性の味方”を貫き、海外経営の礎を築く
「タイに自社工場を設立した当初――もう30年も前のことですが、私が驚いたことのひとつは若い女性工員たちのお金の使い方でした。お給料のほとんどすべてを実家の親兄弟に送り、手元に残したわずか200バーツほどのお金すら、お賽銭として寺院に捧げてしまうのです」
工場のオープニングに際しては、タイの文化を尊重し、僧侶に読経とお祓いをしていただく儀式も行った。高度成長期以前のタイでは若い女性が教育を受けられる機会はごくわずかで、10代のうちから住み込みで働き、兄や弟の学費を仕送りしている者が少なくなかった。
万里子が設立したタイ工場には宿舎があり、温かくておいしい食事が提供されることもあり皆イキイキと働いている。でももっと彼女たちに“自分自身の夢”をもって働いてほしいとも思う。「仕事に誇りを持ってもらいたくて、仕事がしやすくかつお洒落な制服を支給しました。当時のタイではとても珍しいことだったそうで、話題になりました」
広く明るい作業ルームでは、繊細なディテールのひとつひとつが見事に仕上げられていく。それぞれに学びを得る働き方で
ショップハウスでミシンをうれしそうに踏む姿を見た頃から、万里子には“ピンタックなどの高度な技をタイの女の子たちに教えてみたい”という思いがあった。丁寧で真面目な気質、指先の器用さ。自社工場を構えて教えてみると、彼女たちは習得も速かった。
「極細のピンタック幅を均一に保つためにミシンに装着するスケールが、日本から届く前の段階でも、目視で細かいピンタックを縫ってしまうほどでした」
ファンを魅了してやまないヤッコマリカルドの繊細なピンタック。畳み込みの幅はミリ単位。美しく着心地もとても柔らか。撮影/大見謝星斗縫製だけでなく染色の実験プラントにも、適性のある者ならば現地のスタッフから起用していくのが万里子のスタイルだ。最初の数年こそ、日本での創業時代から懇意の川合染工の社長にタイまで来てもらい監査役を頼んだけれど、能力を見込めば、若いスタッフにもポジションを与えて成長させていく。
環境問題に真摯に取り組んでみよう。タイの工場設立当初からそう考えていた万里子は、染色の汚水を浄化する装置を設置。工場内の池で金魚が育つくらいの水にする設備を同時に完成させている。素晴らしい快挙に、地元からの信頼も増すのだった。
さまざまな“豊かさ”を地域に還元
万里子が才能を見込んで社長に抜擢したプラー(イチャヤ・カマーラ)は、人脈の生かし方に優れていて、ワイエムファッションならではの特性をタイのメディアに披露する機会をマメに作っていた。展示会やパーティにもラジオやテレビ関係者の友人をどんどん招く。時代の先頭に立ち、日本人と共に事業に取り組むプラーの姿そのものも、“新しい生き方”として話題を呼び、タイの若い女性たちに影響を与えた。
ワイエムファッション研究所の画期的な取り組みの数々は地域に知られ、共感をもって信用度を高めていく。広報をプラーに任せ、万里子は安心して生地開発や染色プラントの取組みに邁進することができた。
後に開発チームのリーダーとなるワンペンは、ギーと作ったタイ工場設立からのメンバー。バンコクではなく、ブンリランという県にある村の出身で、なんとその村の村長の娘だった。
妹のナルモンは、今はブンリラン村の小学校の校長を務めている。
“家族ぐるみ”を超えて“地域ぐるみ”のおつきあい。万里子の誠実なビジネススタイルとプラーの人柄、この最強のコンビにより会社は発展していった。
タイにナーサリー(託児所)を作った理由
「出会った人は宝物。本当にそう思うんです」。幾度となく万里子の口に上る言葉だ。
タイのワイエムファッション研究所が地域に根ざし、スタッフそれぞれがスキルアップしながら安定した頃、思わぬ悩みが浮上した。日本でも高度成長と共に、働く女性が抱えてきた問題である。
「“働き続けたいのに子どもを預けられるところがない”という相談を受けるようになったんですね。我々の若いワーカーたちは早くに結婚して子供を産み、働く。高度成長期以前からタイ女性は働き者だったけれど、“お母さん”になった後も“企業”に勤務し続けられる環境は整っていなかったわけです。――結局それはどの国も同じではあったのですが、技を磨きあげたスタッフを手放すことはとても惜しいし、本人たちも働き続けたいという。ならば、ナーサリーズルーム(託児所)を、自社に併設してしまおう、と思い立ちました」
2007年、タイ工場にナーサリーズルームを開設。昼休みにママワーカー達が子供と遊びながら過ごす時間は素晴らしいものだった。2018年には新ナーサリーズルームをオープンした。タイ県知事夫妻を迎えて。気持ちよさそうにお昼寝をする子供たち。タイ初の“託児所つきの会社”、この誇らしい称号とともに、ワイエムファッション研究所はまたタイのメディアに紹介されることとなる。2~3歳の幼児を預かる施設として設立したが、“妹や弟がいるから”と下校時ここに寄る年長の子どもたちも多い。ナーサリーズルームのおかげで、安心して兄弟姉妹まとめての育児ができる家庭を増やす結果となった。
幸せな人が作る服は、着る人の心も優しく癒す。人の手を大切にした物作りを貫くヤッコマリカルドの服に袖を通すと、多幸感に包まれる理由はそんなところにもあるのかもしれない。
さて、タイでは服作りと生地や染色の開発のほかに、海外販売の基礎も整えた万里子。次回の連載でも、海外での広がりについてのお話を伺います。お楽しみに!